「明治おばけ暦」と「芝浜の革財布」

今年の「成人の日」は1月9日となり,おかげで三ヶ日も終わった直後の連休。世の勤め人には好評かもしれぬが,それだけ一年の諸事の始動が遅れたように感じられるというのは,つまらぬ性分かもしれない。
毎年恒例の,南座での前進座新春公演の舞台は「明治おばけ暦」と「芝浜の革財布」。嵐芳三郎の演じる暦問屋の若旦那も河原崎國太郎の河竹新七も,何となく浮いていたような印象だったが,演題が「おばけ」では仕方がないか。それにしても,暦と権力というのは本当はかなり深刻な問題のはずで,機会を見て勉強してみたいテーマではある。もうひとつ思い出したのは,冲方 丁『天地明察』でも書かれていたような,太陰暦自体の天文学的・数学的な背景の重厚さのことだが,この方は興味にとどめておいた方が無難だろう。「革財布」の方は魚屋熊五郎の藤川矢之輔も若い割にはいい味を出しており,安心しながら観た。三遊亭円朝の「芝濱」の落ちとは違って,熊五郎が「大きいの」で銚子酒を飲む結末も,正月らしくて良い。
だが,この日の最大の収穫は,終演後に近くのホテルで開催された懇親会で披露された女優・黒河内雅子の「ういろう売り」の芸だ。本当に感心した。帰宅後YouTubeで検索すると彼女自身のflvファイルがあったが,これはアパートか何かの屋上で録画されたもので,雑音が入りちょっと残念。
懇親会を終わり,久しぶりに会った友人夫妻と別れて時計を見るともう23時を過ぎており,それなりに人通りの多い河原町を南へと向かった。

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「弁護士過剰」論

午後から降り出した雨の中,弁護士を中心とする法律家の会合に出かけた。修習生なども含め70名ほどの出席で,なかなかの盛会だったが,パネル・ディスカッションの後のパーティーでは,時節柄,弁護士人口の抑制論が話題となった。
何人かの挨拶が続いた後,少し自由な雰囲気の中で,中堅のF弁護士がステージに立って,彼の持論を繰り返した──この間の司法改革と法曹人口拡大論は財界と新自由主義の策動に中坊弁護士らのグループが乗せられ,暴走したもので,まさに改悪だった,司法試験の改悪で真に平等で民主的な制度が壊され,法科大学院制度が登場したが,無謀な合格者増でまともに「就職」できない弁護士が増えている,「司法改革」も法科大学院制度もうまくいっていない,これらすべてを総括する必要がある── 
彼の気分は理解できる。彼以上に経済的に苦しんでいる若手の弁護士がいることも事実だろうし,そのことが「優秀な人材」の足をこの業界に向けなくさせていることもあるのだろう。だが,それでも,と思わず手を挙げて発言させてもらった。
マイクの前に立って僕の云ったのは,2点だ。
まず,かつての試験制度を理想化することは間違っている,法学部も個々の教員も法曹養成には何ら制度的にかかわらず,個人技で長年の勉強を続け,運がよければ合格する。だが,運が悪かった者は? その間の生活費であったり予備校への費用であったり,決してタダではなく,それに耐えられる条件のある者だけがそれに参加できたのであって,出発点からして「平等」などはなかった。逆に社会的な視点では,若く優秀な人材を非生産的な閉じこもり勉強に長年拘束することで,巨大な損失を生んでいた。そうではなく,まさに専門的な仕事として法曹を養成するシステムとして,法科大学院が登場したのだ。誰でもなれる,ではなく,必要な知識と専門的な訓練に基礎を置くプロフェッショナルとして法曹を捉える事が必要だと,今も我われは信じている。
そして,弁護士過剰の問題。出発点は司法改革を支える「法曹の容量」の拡大であって,弁護士だけを増やせと主張するものではなかった。むしろ先行して裁判官,検察官を増やすべきだ。たとえば少年非行の問題。少年審判にむけて家庭裁判所に送致された少年の75%までがそのまま「審判不開始」となっている現状の原因は,明らかに家裁での裁判官の不足だし,千人を切る保護観察官の拡大も4万8千人の保護司のボランティア仕事に任せている保護観察の充実なども含めて,全体としての法曹の活躍を必要としている領域はまだまだ広い。そこに向けての制度改革と裁判官(検察官も)の増員が必要なことは明らかではないか。むしろ弁護士会こそが,裁判所(支部)の増設,裁判官の増員,良質な検察官の増員を要求し,世論に訴え,運動として推進すべきなのではないか,とそれなりに場所に配慮して話したつもりだ。
続けて別の弁護士が立って,京都府,広島県,千葉県などの例を具体的に挙げながら,地裁支部の増設要求に単位弁護士会が真剣に取り組んでいない,また今次の大地震・津波被災地の弁護士需要に他府県からの応援で対応しようとすると,地元弁護士会が抵抗するなど,弁護士会としてもっと広い視点に立っての「司法の容量の拡大」に真剣に取り組む必要がある,との多分は応援の趣旨の発言もあった。
パーティーが終わった後で,昔のゼミ生の弁護士(「お変りになりませんね」),友人の弁護士(「正論を言ってくれてよかった」)などとの挨拶があった。

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「郡山に赴任すべきでしょうか?」

身辺慌ただしい中,思いがけず今春卒業した元ゼミ生から,相談のメールが届いた。
このたび,臨時の人事異動で郡山の支店勤務を命じられたが,福島原発に近い郡山に赴き勤務することが不安だというのだ。近く結婚し,将来は子供も欲しいのだが,そこで子供を育ててよいのだろうかと悩んで,仕事にも身が入らない,と。
おそらくは,他にも多くの人に意見を求めているのだろうが,やはり放置することはできない,と下のようなメールを返した。それにしても,彼のような不安を抱えている人は膨大な数に上るだろう。 ──改めて,民主党政権の無為無策,無責任さに怒りがこみ上げてくる。

「 ***** 君,
いただいたメールを拝見しました。
まずは,元気で仕事をしておいでの様子,何よりです。

しかし,大問題出来というところですね。──貴君の書いておられる心配と迷いはよくわかります。
小生がもっと若い時期に同様の命を受けたとしたらどうしただろうか,と考え込むところです。

たまたま先日,7月下旬に郡山にちょっとした用務があり,小生は大学から命じられてその前日に郡山市に入り,郡山駅近くのホテルに一泊して,翌日は午前中に郊外にある市立美術館を訪ね,午後に用務を果たし,新幹線で京都に帰ってきました。
当然のことながら,郡山の市内はごく平穏な日常で,美術館にも子供連れのお母さんなどがたくさん来ていました。──だから,何だと言うわけではありません。大きな都市の多くの市民がごく平和に暮らしていても,実際には放射能の汚染が進んでいるのかもしれません。
しかし,それを言うのであれば,実は東京の方が危ないのだ,いや京都だって実際のところはわからない,という話もあるでしょう。

小生が貴君の立場であれば,「大手の製薬会社ともあろうものが,社員の健康に不安を生じるような場所に転勤を命じたりするはずがない」,しかも,この間の政府の発表では郡山は安全な地域だとされているではないか,などと考えるところですね。もともと,そこに多くの人々が普通の生活をしている以上,彼らを見捨てて逃げるよりは一緒に被災しよう,と思う気質ですから。

しかし,これは貴君の一生に,更には貴君の子孫にも関係するかもしれない事柄です。小生ごときが横から無責任な口をはさむ事柄ではありません,とも思います。
結局,貴君自身が判断するしかないのではないですか。
よく考え,自分自身に責任を負うだけの覚悟を決めて,判断するしかない,ということです。
その意味では,あまりお役に立てません。申し訳ありませんが。
ともかく,よく考えて,慎重に行動するよう勧めます。

まだしばらくは炎暑が続くことでしょう。どうぞお元気で。」

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子供に対する性犯罪者の薬物去勢

Google news のタイトルの中に,ロシアのメドヴェージェフ大統領が児童に対する性犯罪者は去勢すべきだと主張したというニュースが目にとまった。
注目して読んでみると,大統領は火曜日(5月10日)の裁判制度の改革に関する会議の席上,児童に対する性犯罪を犯した者に対して厳罰でもってあたる必要があると主張し,そのためには化学的手段による去勢も考えられると述べたというのだ。同時に,しかし,その適用は本人の同意がある場合に限る,とも。
唐突な印象を受けたのでロシアのニュースを検索してみると,この間にロシアで立て続けに幼い少女に対する強姦(殺人)事件が起き,いずれも性犯罪の前歴を持つ犯人によるものだったことが強調されている。
4月27日付けの《論証と事実》紙によれば,カフカース地方の都市近郊で8歳の少女の死体が発見され,彼女が生前に強姦された痕跡があったため,捜査が行われた。友達と一緒に花を売っていた少女が中年の男性とどこかに向かって歩いていたという目撃者があり,警察の持つ性犯罪者のデータベースから容疑者が浮かび上がった。数日のうちに彼は逮捕された。2000年に8歳の少女に対する強姦により12年の刑に処せられたが,2007年に仮釈放により自由の身となっていた47歳のゴンタレンコ,彼はすぐに自分の犯行であることを認めた。
もう一人の犯人はスタブロポリ地方の病院に夜中に侵入し,入院患者である9歳の少女をトイレに連れ込み強姦したのだが,この犯人ボロトゥインツェフ(23歳)は2007年に同年代の女性を強姦した罪で4年半の自由刑に処せられ,2度目の申請が(刑務所当局や検察官の異議申し立てにもかかわらず)認められて今年の1月に仮釈放となったものだった。
念のため付け加えておけば,ロシアの法制では仮釈放(「条件的な刑期満了前釈放」)は裁判所の決定により許されることになっている。そのため,新聞はじめ各メディアは「安易な仮釈放がなければこれら犠牲者も出なかった」と主張しており,冒頭に述べた裁判制度改革の改革に関する会議もそれとの関係で開かれたものだと推測される。

が,その席上で大統領から飛び出したこの意見,かなりの支持を集めそうだ。
子供に対する性犯罪者の再犯を防ぐための措置としての薬物投与による「去勢」は,既にスウェーデン,デンマーク,カナダ,オーストラリアや米国のいくつかの州などで採用されており,イギリスやポーランドなどでもその採用の動きが伝えられている。わが国では小田晋先生の採用論が知られているが,僕自身も,メーガン法のような性犯罪者の前歴の広範な公開の制度よりはよほど人道的で効果的な方法だと思うのだが。

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取り消された振り込み

先日,オンラインで利用している個人の銀行口座に10万円ほどの入金があり,振り込み元が勤務先の大学の経理課となっていたので,何かの手当てかとは推測したものの,入金日が中途半端で不思議なことだと思いつつ,経理課に問いあわせることを失念している間に,「取り消し」名目で同額が引き落とされていた。記録では,入金日の3日ほど後になっている。しかし,これらのことについては何の照会も説明などもなかった。
もちろん,それ自体はありふれた,小さな出来事の一つなのだが,ちょっと拘ってみたいものがある。少し前の「過剰入金された金銭の窃盗事件」判決(東京高判平成6・9・12判時1545-113)を思い出したからだ。
あの事件では,依頼人から送金を依頼されたアメリカの銀行が,円建てとドル建てとを誤り,本来の送金金額約44万円に対し44万ドル,当時のレートで約5,500万円を被告人の普通預金口座のある銀行に送金し,後者の銀行がそれを被告人の普通預金口座に入金記帳した後,被告人はそれが過剰な入金であることを知りつつこれを現金自動支払機から引き出して,自己の借金の弁済や贅沢品の購入,先物取引への投資などに当てたというものだった。検察官は窃盗罪の成立を主張し,これを認めた地裁判決に対し,弁護人は,被告人には預金の占有があったとして,横領罪ないし詐欺罪が成立するにすぎず,窃盗罪は成立しないと主張して控訴,東京高裁がこれを棄却した判決だ。弁護側の上告は棄却され,この高裁判決が確定している。
東京高裁の説明では,「もともと,預金口座の名義人と銀行との関係は,前者に正当な払戻し権限がある場合であっても,債権債務関係が成立しているだけであって,銀行の現金自動支払機内の現金について預金口座の名義人が事実上これを管理するとか,所持するとかいう立場にはなく,右現金は,銀行(現実には当該銀行の支店長)の管理ないしは占有に属すると解するのが相当」であり,また「本件は,送金した銀行側の手違いにより,誤って被告人の預金口座に入金があったに過ぎず,被告人に右預金について正当な払戻し権限のない場合であるから(このことは,受入れ銀行の側に何らの過誤がない場合も同様である。),自動支払機内部の現金について,所論のいうように,被告人が管理者であるとか,被告人がこれを所持(支配)していたということのできないことはもとより,被告人が法律上の占有を取得することもないと解される」ので,明らかに窃盗罪が成立するとしたのだった。
このような理解に異論はない。むしろ,後者の説明では明示されていないが,このような場合には預金債権自体が成立していないと言うべきだろう。振込依頼人には口座名義人にその金額を送金して入金させる意思が無いので,表示された行為には「要素の錯誤」(民法95条)があり,口座名義人の銀行に対する振込相当額の預金債権は成立しない,のだ。
しかし,興味があることに,銀行実務では以前から,誤振込みがあった場合,口座に入金記帳した時点で預金債権が成立し,以後は,振込みの組戻しには口座名義人の承諾が必要だとする立場をとっている,と説明されることだ(島谷六郎ほか監修『銀行窓口の法務対策2500講〔上巻〕』,1993,71頁以下参照)。また最高裁も,この事件より少し後に,このような実務の考え方を認め,原因関係の有無とは独立して,口座名義人と銀行との間の債権債務関係が存在するとする判断を示している(最判平成8・4・26民集50-5-1267)。

そうであれば,やっぱりおかしい。
三井住友銀行はこの僕に説明し,了承を得て振り込みの「取り消し」をすべきだったのだ。
さて,どうしてくれようか(まあ,今のところは冗談だが)。

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カンニングは業務妨害か

最近のメディアを騒がせた「京大入試ネット投稿事件」だが,犯人として仙台市の予備校生が逮捕され,その犯行の実態が明らかになるにつれて,京都大学当局への批判が強まっている。
当然だろう。入学試験での受験生の不正行為を防げなかったからといって,声高に自分が「被害者」だと騒ぎたて,偽計業務妨害罪に当たるとして被害届を出し,受験生の一人を逮捕させた京都大学も,それに乗って大規模な捜査を進めた京都府警も,常軌を逸した対応を取ったと言わなくてはならない。
新聞報道によれば,事件発覚から6日目の3月3日,初めて記者会見した松本紘学長は「試験の監督はちゃんとやっている」と時に声を荒らげて強調し,「(京大の監督の)範囲の外で起こるようなネット犯罪であれば,対策を取らなければいけない」と述べたという。ところが予備校生は,京都府警の取調べに,試験会場の自席に着き「机の下で携帯電話を操作した」と説明,会場の隅の席は試験監督者から死角になるので何回もやったとも話し,一夜にして「監督は万全」との大学側主張に疑問符がついた。はては府警内部でも,京大の対応に違和感を覚えるという声が出ているとのこと。「試験監督の不手際を棚に上げ,すぐに警察に持ってくるのはどうか。自ら検証もせず,批判や追及を受けないよう逃げているだけのように思える」。府警幹部の一人はこうつぶやいた,と。【毎日新聞 3月5日朝刊】 この「府警幹部」の方が松本総長よりよほど健全な感覚を持っている。

学校一般と同様に,大学にとって試験とカンニング行為はいずれも,切っても切り離せない存在だ。入学試験だけでなく,成績評価に基づく履修単位の認定が学士学位の前提となっている以上,定期・不定期の試験も大学にとって必須の制度だ。そして他方で,受験者にとってカンニング行為はきわめて切実で身近な「不正」だ。
およそ受験生はカンニングをするものという前提で,試験制度は成り立っている──でなければ,試験「監督」をなぜ配置するのか。だから,試験監督者の任務は適切な注意と巡回・警告によってカンニングを行わせないことにあることは自明だ。であれば,カンニングが行われたにもかかわらず,現場においてそれを摘発できなかたということは,監督業務が適切になされなかったということを示しているだけではないのか。

今回の事態は,たしかに,新しい技術を使ってカンニングが行われたために社会的な注目を集め,一時は組織的な不正も疑われたために,「大事件」になってしまった。だが,そろそろ頭を冷やして,冷静な事実確認と評価・判断がなされるべきだろう。

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「切られお富」

恒例の前進座初春公演とあって,妻と南座へ。今年の演目は黙阿弥の「処女翫浮名横櫛」,通称「切られお富」。
子供の頃にラジオから流れていた春日八郎の歌「お富さん」の元になった「切られ与三郎」が本歌とすれば,これは本歌取りとでも言うべきだろう,切られるのは与三郎でなくお富だ。あまり上演されない演目のようだが,「書換え狂言としては傑作中の傑作」という評もあるようだ。
ゆったりとした休憩も含めて4時間近くの舞台だったが,お富役の国太郎が光っていた。だが,観終わっていくつか釈然としない点が残ったことも事実だ。そして,それら気がかりなことをたどっていくと,今回の前進座の舞台の終盤が,強請りとった二百両(相変わらず「切り餅」二つの五十両にしか見えないのだが)を奪いあってのお富と安蔵との畜生塚での立ち廻りに置かれていることに関わっているように思う。傘で防ぐ安蔵をお富は出刃をかざして追いまわし,ついには殺して金を取り返すのだが,そこへ都合よく現れた与三郎にその金を渡して先に行かせ,自分は夫殺しの身の上からにはと自害をほのめかして見得を切ったところで幕となってしまう。これでは,まるで生殺しの状態に放り出されたようなものだ。何とも落ち着かない気分にさせられる。
本来はその後に,お富の父である按摩の丈賀の説明もあって,与三郎がお富の実の兄であることが判明し,自分たちの犯した近親相姦の罪に恐れおののいて二人揃って自害となるはずで,そこで初めてこの場が狐ヶ崎の「畜生塚」であることの意味が判然とし,物語全体の因縁話としての完結があるように思うのだが。不思議な演出だ。
その後の三条のホテルでの懇親会の席でも,しかしこの点は梅之助氏には尋ねなかった。いま一つ自分の考えが整理できていなかったことと,そうでなくとも疲れ切っているかに見えた梅之助氏につまらない質問をするものではない,と妻に釘をさされていたこともあって。

ともあれ,正月気分はこれでお終い。まだ後期セメスターの途中で,3回分の授業も残っているし,その後には入学試験期の独特の繁忙期が控えている。

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犯罪者が自らを語るとき

半月ほどの間,通勤の鞄の中に入れて持ち歩いた小倉孝誠・著『犯罪者の自伝を読む ─ ピエール・リヴィエールから永山則夫まで ― 』(平凡社新書)だが,いろいろと教えられるところがあった。
中心になっているのは第二帝政期のフランスの犯罪者達が自己と自己の犯罪について書いた文章だが,末尾にはルイ・アルチュセールおよび永山則夫のそれについても採り上げられている。だが,学生諸君に勧めても,おそらくは不評だろうなと思う。本書には,それら犯罪者のおぞましい犯行の詳細や,犯罪社会の特徴の描写があるわけではないからだ。著者の関心は,むしろ,犯罪者が自らを語るという特異な行為がなされることの意味を探ろうとするところにある。

僕にとって興味深かったのは,これら「自伝」の内容もさることながら,むしろそれらが社会に明らかとなり,後世に残った理由だ。
重大な犯罪を犯した者は,当時の法制の下では間違いなく極刑に処されるだろうことを覚悟した上で,自己の有能さと度胸を誇示し,刑事制度の無能を嘲笑して,法廷を見世物にしようとし,またそれを(多くは裁判記録として)文章にした。あるいは,悔悟した犯罪者による「回想記」のような形で,社会を啓発する目的でそれが書かれたこともあったが。
だが,「自伝」の組織的な記録と収集がなされるのは19世紀後半以降,一群の犯罪学者による作業によるところが大きいということだ。つまり,最初はロンブローゾによって,次いでラカッサーニュが,研究手法として囚人に自己を語らせることを始め,それによって犯罪者の生物学的な特異性を明らかにし,あるいは犯罪の背後にある社会環境的な諸問題を証明しようとしたのだ。
面白いのは,このイタリアとフランスの,学説史的には相対立してとらえられることの多い二人の犯罪学者が,同じ時期に競って犯罪者の「自伝」の収集と解読に熱中したという事実だろう。
だが,アルチュセールの事件とのかかわりで短く触れられている「パリ人肉事件」の佐川一政に典型的なような,メディアへの売り込みという目的で「自伝」が書かれるような現象は,それらとは異なる,醜悪なだけの現代的エピソードだ。

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TPP,グローバル30,「キャンパス・アジア」構想

米国など9カ国が参加し,ニュージーランドのオークランドで開かれていた環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の拡大交渉会合は先ほど終了した。会合では,関税撤廃をめぐる協議を来年1月にも始めることが取り決められたとのことだが,問題は我が国がこれにどう対応するつもりかということだ。農業をはじめ多くの経済分野に壊滅的な打撃となるとの懸念からこれに参加すべきではないとの意見も強い中で,菅直人首相はTPPへの参加の方針を打ち出したとのことだ。だが,参加判断の時期については,政府内で意見が分かれている模様で,今後何回も方針の動揺はあるだろうし,そもそも民主党政権にこの問題についての判断能力があるのかどうか。
なぜこの問題にこだわるのかといえば,それは,「このTPPが決着を見た後には,必ず高等教育領域での国際平準化の動きが控えている」との,尊敬するOn.先生の指摘が当たっているように思うからだ。──ヨーロッパでの「ボローニャ・プロセス」の進行やそのアメリカへの波及,重点大学を指定しての巨額の財政投入とアジア諸国からの留学生獲得に乗り出している中国の大学戦略,また最近の韓国の動きなどを通じて,世界的な規模で進行している高等教育分野の平準化と流動化の激動がわが国へと波及することは,早晩必至であろうと予感する。
そんな中で,「事業仕訳け」と称する愚劣な出し物しか用意できず,あろうことか大学の国際化に向けての目玉施策である「グローバル30」事業の一旦廃止を決めるような民主党政権に何が期待できるだろうか。我われは何の用意もなく,裸のままで「外圧」にさらされるほかなくなるだろう。せめて,鳩山政権が言葉だけであれ残した「キャンパス・アジア」構想だけでも,その具体化に向けて何かは考えているという片鱗を見せてほしいものだ。
 

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宮澤浩一先生 お別れの会

慶応義塾大学日吉キャンパスで,今年7月に亡くなった宮澤先生を偲ぶ会。秋の行楽日和とあって,かなり混みあった電車を乗り継いで辿りついた会場には,大学や学会関係らしい多数の人々が参集しており,見知った何人かには挨拶。
一室に花で囲まれて掲げられた宮澤先生の写真に献花し,奥様に挨拶。お別れの会で話された西原春夫先生はじめ,ドイツや韓国から出席された友人=研究者の追悼の言葉,またかつてのゼミ生でもある太田教授の思い出話,その後の会食の場での奥様のご挨拶などを聞きながら,個人的にも先生の在りし日のいくつかの情景を思い起こしたことだった。
さほどの繋がりもないのに,若い頃から不思議と気にかけていただいた。学会などで会うたびに声をかけていただいたのだが,最後にお会いしたのはもう5・6年も前の東京での刑法学会の後,何人かと一緒にご馳走になった時だった。楽しそうに話され,また杯を重ねておられたが,かなり早くに酔ってしまわれ,もう先生も若くないのだと思ったことだった。
太田さんの話では,先生はよく,「自分は銀行家の息子であり,根っからの資本主義者だが,資本主義の本質は投資にある。自分は人に,これはと思う若い人に投資するのだ。」と言っておられたとのこと。先生らしい,いい言葉だ。 ── 先生のせっかくの投資を十分に活かしきれなかったことについては,やがて10年か何十年かが経って,今度先生にお会いしたときにお詫びせねばならない。

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「有罪判決後の被告の人生」

今年の犯罪社会学会の総会前の一般社会向け公開シンポジウムは「有罪判決後の被告の人生」という興味深いテーマで開催された。世田谷の国士舘大学の中央図書館地下のホール。200名ほどの参加者に交じって興味深く聴いた。
河合幹雄教授(桐蔭横浜大学)の趣旨説明と問題提起,パネリストとして指宿 信教授(成城大学),最高裁判所事務総局から刑事第二課長,矯正職員の経歴がある小柳 武教授(常磐大学),元保護観察官である生島 浩教授(福島大学),といった顔ぶれ。

個々には注目すべき論点・指摘もあったが,全体としては,少々不満の残る内容だった ── 量刑法にしぼって,裁判員制度との関係で,という枠組設定から来るものかもしれないが。量刑相場や矯正処遇のあり方,保護観察官の苦労などではなく,聴きたいと期待していたのは,一たび犯罪者として断罪された人がその後の「人生」をどう過ごしていくか,ということだ。刑罰の執行を終えた者に関わる社会の側からの意識と排除のシステム,例えば性犯罪者の「隔離」(メーガン法やらGPSによる監視用足輪やら,など)といった問題をきちんと扱ってほしかった。

だいたい,このシンポジウムの名称を,「被告人」の人生でなく「被告」のそれとしたことも,意図不明だ。

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イワン・カラマーゾフは有罪か

知人の文学者K氏から質問されたことをきっかけに,刑法学上の不作為犯論に関わって,少し考え込む機会があった。
彼の指摘するところでは,ドストエフスキーの長編には繰り返し登場する隠されたテーマがあるのではないか,というのだ。たとえば,『カラマーゾフの兄弟』における父親殺しについて,次男イワンは,父親が間もなく長男ドミートリーによって殺害されるかもしれないと予測しながら,それを防がずにモスクワに旅立つ。そのイワンのモスクワへの出発を,真犯人のスメルジャコフは,「殺せ」という暗黙の指示と受け取って,父親を殺害する,ということになっている。
K氏の質問は,このイワンのような行動が,当時刑法的にどのように評価されていたか,もっと端的には,当時の市民はそれが処罰されるべき行為であると見ていたのだろうか,またドストエフスキー自身はどう見ていたのだろうか,ということなのだが,残念ながら,このあたりのことに即答できるだけの準備はない。少し時間をもらうこととした次第。

問題は,今日の刑法上の議論としては,不作為犯論にかかわっている。つまり,上記の場合においてイワンは,すでに犯罪的な結果の発生に向かって事態が動き始めていると認識しており,またそのような事実を阻止する能力を持っているにもかかわらず,あえてそれに介入しない,このことをどう評価するか。
刑法上,処罰されるのは犯罪的な結果と因果関係を持つ,人間の行為だけだが,この場合,外部に表れた行為(「作為」)はないので,行為しなかったこと(「不作為」)が刑法上「作為」と同じ意味を持つ範囲がどの範囲であるかが問題となる。
この点,一般的には,法律上要求された一定の「作為義務」に反する不作為により,本来は作為により犯されるはずの罪が犯されたと考えられる場合であるとされている。したがって,最大の問題は「作為義務」の根拠となる。
そしてこれは,(「保障人説」などの専門的な議論を脇に置くと)一般に,
 ┌法律上に直接の根拠あるもの
 │契約・事務管理の関係に発するもの
 └条理(要するに社会通念)と考えられるもの ― 特に「先行行為」
と分類されるのだが,むしろ,「これだけか」が問題となるだろう。
つまり,通りすがりに人が危難に瀕していることを目撃した者には,これを救うべく作為する義務はないのか,という点── ここに,おそらくは,ドストエフスキーも念頭に置いていただろう問題が生じるのだと思う。

この点についての刑法の一般的な議論は至って平板なもので,そのような者には道義的な作為義務はあっても,法的なそれはない,ということに尽きる。これは,民族共同体の利益を強調したナチスの時期などを例外として,ドイツと日本の刑法に一般的な捉え方で,おそらく,19世紀のロシア刑法の主流も同様だったろうと推測できる(一定の根拠はある)。
だが,そのような対応とキリスト教的な倫理の関係がどのように整理されているのかが,気にかかる。ドイツ刑法学の議論をそのままに日本に移入することでことは足れりとしている現状に問題はないのだろうか。作為義務や「保証人的地位」にかかわっての議論への,ヨーロッパのキリスト教的な精神文化の影響をわれわれは十分に読み込んでいるだろうか。さしあたりロシアは別としても,例えばドイツの。

ところで,自分自身ではなく,他の者が犯罪行為に及ぼうとしているのを知りながら,これを阻止しないという類型の場合は,「不作為による幇助犯」の問題となりうる。自分の子が第三者に殺されそうのを阻止しない親,自分の監護している子が嬰児殺を犯しそうなのを止めない親などを不作為の幇助犯とすることは広く認められており,わが国の裁判例にも,自分がその場にいなければXがAを殺害すると予知しながら,また他にXを制止する人がいないことを知りながら,その場を離れた隙に,XがAを殺した場合に,不作為による殺人幇助を認めたもの(大阪高判昭62.10.2)がある。
だとすると,先のイワンの行動など,これに当てはまりそうではないか。

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破滅のマヤコフスキー

亀山郁夫先生の講演「ウラジーミル・マヤコフスキーとロシア・アヴァンギャルドの運命」を聴くために,電車とバスとを乗り継いで滋賀県立近代美術館へ。
穏やかな語り口で先生の話されるには,東京外大の修士課程で最初に取り上げた研究テーマがマヤコフスキーだったが,1年かけてその作品を読み込んでいる途中で水野 忠夫先生の『マヤコフスキイ・ノート』が刊行され,これはだめだ,とても太刀打ちできないと研究対象をフレーブニコフに変えたのだそうだ。思わず,それはわかるなと胸の内でつぶやいたことだった:たしかにあの『ノート』は,その量でも内容でも,圧倒的な迫力を持つ研究だった。

それにしても,この僕はどうしてマヤコフスキーにあれほど強く惹かれたのだろうか。
はるか昔,郷里の駅前の書店の棚に並んだ小笠原豊樹訳の『マヤコフスキー選集』を見つけ,橙色のケースに入った3冊本の,かなり高価だったその一冊づつを何ヶ月かかけて順次買い求めたのだった。収録された全ての訳詩も,関根弘氏の解説も,何遍となく読み返した。大学に入ったらロシア語を勉強しよう,という決意の一つのきっかけはこのあたりであったろうか。
法学部の学生となった後も,機会を見てはマヤコフスキーの作品や彼に関する評論などに目を通し,無謀にもロシア語版の選集を手に入れて読み通そうとしたこともあった。自分の専門の勉強が忙しくなり,考えなくてはならないことも色々と増えて,徐々にマヤコフスキーは僕の関心の中心から外れていったのだが,長い時間の後から考えてみれば,あの当時何が僕を彼にあれほど引きつけていたのか,むしろ不思議だ。

亀山先生の講演を聴いていてとくに印象に残ったのは,「仮面」の仮説だ。
このことについては,先生の『破滅のマヤコフスキー』に詳しいし,革命との関係,正教会との関係それぞれに検討され論じられていることだが,今日の会場でそのことを聴きながら思い当ったことがある:それは,彼が「僕の革命」と呼んだにもかかわらず,革命や労働者のことを書くときの極めて形式的で抽象的な詩句のことだ。そこには,「背骨のフリュート」や「これについて」の場合のような,切羽詰まった感情の表出のようなものがうかがえない。言葉が上滑りしている。その事実を,かつての僕はマヤコフスキーの,詩人の仕事を労働者のそれになぞらえるようなレトリックや,プロパガンダのための「スローガンが必要だ」という言葉で説明されたかのような気がしていたのだが。

結局,何も分かっていなかったということなのだろうか,当時の僕には。
だが,それでも僕には,多くのマヤコフスキーの詩句や講演内容,写真の端々に滲んでいるのは,亀山先生が言うような傲慢・不遜さであるよりは,何かのきっかけがあれば溢れ出すに相違ない気の弱さや不安であるように思われるのだ。

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大学教員というもの

あいにくの炎暑の一日の余韻を引きずった鴨川の床で,学生時代からの友人と。心ばかりの川風もあって,段々に暮れてゆく対岸の風景や東山の稜線をたどりながら,ゆっくりと杯を重ねた。まさに,京都に暮らしていることの幸運を思った一夕だった。
そのあとも色々あっての帰途,先ほどまでの会話の反動でか,つまらないさまざまなことを考えた。
そのひとつは,今日のわが国での大学教員という存在の特殊性だ。

戦前から戦後へ,その「社会的ステータス」において最大の下落をこうむったのが大学教員だという所説を以前目にした記憶があるが,そのステータスが社会的な権威や賃金収入を意味しているのであれば,それは本当だろう。だが,多くの点で大学教員自身の特権意識は変わっていない。1970年を前後した時期の「学園紛争」あるいは「民主化闘争」にもかかわらず,わが国の主要な大学では,伝統的な教職員関係とそれに対応した大学教員の,教育者などではなく「研究者」なのだという自己規定も,教授会というギルドの特権を押し立てての教育の自由の勝手な解釈も,つまりは大学の戦前的なものはほとんど傷つけられずに残ったというべきだろう。
例えば東京大学の「確認書」にしたところで,他の多くの大学での「民主化」にしたところで,それを血肉としての大学の体質の改革はその後一向に実質化せずに終わったというべきだろう。教員の自由なギルドとしての大学── カリキュラム体系も授業方法も,職員や学生の地位も,ほとんど手をつけられることなく,残った。

この間のもっとも大きな変化は,国公立大学の「独立行政法人化」による外からの改革によるもので,内側からのそれはどこであれ成功していない。いくつかの「民主化」の進んだととされる大学での,学生をも含めた全学構成員による自治の高唱や「教職共同」のスローガン,マスプロ教育を否定しての「小集団」での教育の実質化の試みなどなど。それらは,はたしてどこまで実質化し成功したことだろうか。大学教員として大学の内部に身を置いている立場からは,かえって足りない点ばかりが目について,心苦しいことだ。
そして,多くの局面で,声高な「教学優先」と「学部自治」の名分とが,かえって大学自身の多様で積極的な教学の展開を,つまりは学生に対する充実した教育というサービスの徹底を,阻害しているように思われてならない。

では,この閉塞的な状況からどのようにして脱出するか。
この点での僕の見方は,かなり悲観的なものだ。現在の大学教員自身に,その居心地のよい現状を根底から覆すこととなるの見直しや「改革」の推進を期待することは難しいだろう。しかし同時に,こんな状況がそれほど長く続くとも思わない。つまり,何よりも,国際的な高等教育情勢とそのわが国への波及によって,無理やりにでも事態は変えられていくだろうと予想するのだ。またしても,「外圧」によってしか問題を解決することはできないのかと,一面,暗然とした思いにとらわれるが,しかし,それが ─ 大学をも含めた ─ わが国の運命なのかもしれない。
エラスムス計画からボローニャ・プロセスというヨーロッパでの重要な動きはアメリカを含む「高等教育の質保証」と「平準化・共通化」の動きとして,遅かれ早かれ中国を飲み込み,日本へと押し寄せるにちがいない。そのときには,教員に成りきれない教員による教育の独占という,わが国のガラパゴス状態が揺らぐことは必然だろう。

──酔った頭でたどった切れぎれな思考だが,おそらくはそれほど間違っていないだろう。大学教員生活の終わりに近づいてしかこれらのことに思い至らなかったことが,残念だが。

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本人の意思を確認せず臓器摘出

報道によれば,昨日,本人の書面での意思表示がないケースで初めて,交通事故で脳死状態となった男性から臓器の摘出が行われたとのことだ。もちろん,家族の承諾のみで臓器の摘出を可能とした昨年の臓器移植法改正をうけたもので,今後このようなケースは増えていくのだろう。
これでやっと先進国の標準・WHOの推奨基準に近づいた,とこれを歓迎する声も大きい。本人あるいは近親者が難病に罹っていて,臓器移植によってしか助からない人々は確かにおり,とりわけ幼少者については従来の基準では適当な臓器を得られる見込みがなかったことでもあり,今回の法改正が事態を好転させるだろうと期待されているのだ。
だが,僕はそのような意見に共感しない。人の生命は神の意思にのみ委ねられており,人が勝手に左右すべきではない,とか,他人の生命を奪って生きるなどは倫理的に許されることではない,といった意見に今さら与しようとは思わないが,ここにはもっと世俗的な障害物が隠されているように思うのだ。
この,脳死判定から臓器摘出,移植へというプロセスには,何かいかがわしいものがある。
誰が臓器を提供し,誰がそれを受け取るのか。その「誰か」を決めているのは誰なのか,何を根拠としてなのか。
我われの世界では医療は無料ではない。今さら言うまでもなく,臓器移植は非常に高度な医療であり,設備が整った病院ですぐれた技術を持った医療チームが担当しない限り成功することはありえず,手術が終わった後も,拒絶反応や感染症を防ぐために免疫抑制剤の投与をはじめ細心の管理が必要とされる。であれば,現実にその種の手術や治療を受けることができるのは,相応の資力を持った人々だけだということになる。
東南アジアの国々には日本や欧米諸国の患者のために腎臓などの臓器を売った人が相当数いることが知られているが,ここにある図式は見間違えようのないものだ。貧しい人々が豊かな人々に臓器を提供しているのであり,その逆ではない。このことを無視して,「善意の臓器によって救われた命」ばかりを強調するメディアの合唱には,どうしても違和感が残る。以前書いたこともあるように,臓器売買は時にわが国でも問題になることがある。
僕が「いかがわしい」と言ったのは,まずはこのこと。誰もが知っているはずのこの簡単な事実を,なぜ誰も指摘しないのだろうか。──はるか昔の刑法学会で,脳死判定・臓器移植を推進すべきとするIt.教授の報告に対して,フロアから一人昂然と立って,「だが医療は只ではない」として引き下がられなかったIn.先生の姿を思い出すことだ。
「死は平等」という,既にその真実味にかげりを生じている言葉だが,やはり僕は,その平等にこだわりたいと思う。

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性懲りもなく,再開

まさに,「性懲りもなく」だろう──このブログを何度目にか再開しようと思う。
この前の書き込みは2008年10月のものだから,もう2年近く放ったらかしにしてきたことになる。当時は学内行政上の緊張と多忙のために,落ち着いて「思索」のあとを辿ることなどできないと思っていたのだが,それからかなりの時間を経過して,さて状況は変わったか,良くなったかと尋ねてみても,およそ肯定的な回答はできそうにない。
それでも,多少は夏の休暇を取れそうなこの時期に,この書き込みを再開してみようと思い立ったのには,最近に誕生日を迎え,父の死んだ歳にあと10年となったことに気付いたこともある。
仕事を急ぎ,考えをまとめ,書くべきことは書き,言うべきことは言っておかなくては,と思ったのだ。このブログも──  別段,後に残さなくてはならない何があるとも思っているわけではないが,それでも,「ある犯罪学者の生活と思索」それ自体が存在したことは事実なのだから。

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梅之助さんを囲む会

いつまでも続きそうな会議を予め宣言しておいた時間通りに打ち切って,急ぎタクシーに飛び乗って河原町三条の京都ロイヤルホテルへ。梅之助(舞台を降りた彼と同席すると,自然と「中村梅之助氏」と呼びたくなるのだが)が上洛した機会にと,で彼を囲む会が開かれたのだ。会場には既に大御所の両先生始め,歴々が着いておられて梅之助と談笑しておられた。恐縮しつつ挨拶。今回は,梅雀のファンクラブも合流したとかで,なかなかの盛況だった。
梅之助の挨拶の中で印象的だったのは,「間もなく80周年を迎える前進座の歴史と共に歩いてこられて,苦しかったときのエピソードをいくつか」,という質問に答えて彼の話したことだ。「前進座の古株の誰に聞いても同じように答えるでしょうね,今が一番苦しいです,と。過去にいくつも危機はあったけれど,何とかそれを乗り越えてきた今から見れば,それは大したことではなかった,現にそれを切り抜けてここまで来たのだから。だが,面前のこの危機こそは,ひょっとしたらわれわれを押し潰すかもしれない本物の危機なのだ,と。」
現在の座の状況を念頭に話された言葉なのだろうが,考えさせられる言葉だ。
 
まだ21時を少し回っただけだというのに,河原町の通行人は少なく,扉を開けた客待ちのタクシーばかりが目立った中を,四条まで歩き,電車で帰宅。明日に向けて考えておかなくてはならないことのリストは長い。

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秋葉原での惨劇

日曜日の秋葉原,歩行者天国での殺傷事件。この日は横浜に出張中で,事件のことはまったく知らず,夜遅くに京都駅から乗ったタクシーの運転手から聞いた報道内容に,心底驚いた。──池田小学校事件から7年目の記念日ではないか。

もう一つ。じつは,この種の事件が起きるたびに僕がひそかに恐れているのは,新聞やテレビの記者からの「何かコメントをお願いしたい」との電話だ。
一体何を,話せるというのだろうか。個人の具体的な犯罪行為の「原因」など,絶対に分かるはずがない。彼(あるいは彼女)の犯行直前までの,経験したことのすべてが何らかの影響を彼に及ぼし,また犯罪行為を取り巻いていた環境条件のすべてが,彼の行為の「原因」だったとしか言いようがないではないか。

例によって,勇敢なF先生が『日経』紙に談話を寄せている── 容疑者がトラックで人をはねてからナイフで刺した事件の展開を「暴力団同士の抗争でよく見られる手法だ」と指摘,「より大量に人を殺すために何が効果的か学習しているように思える。社会に不満をためた人が起こす最近の『不満爆発型』の犯罪は発作的でなく計画的なので,模倣されエスカレートしやすい」と話している。また,日曜日や人込みを狙った点については,「普段注目を浴びない人は逆に自己顕示欲が強く、注目されたい意識の表れ」と分析して見せている。(日経・2008年6月8日)
しかし,この談話の中に,何かの科学的な根拠に裏付けられた説明を見出すことができるだろうか。あるいは,何らかの有用な犯罪対策の提言が含まれているだろうか。そこにあるのは,せいぜいのところ,気の利いた,しかし無責任な,評論でしかないのではないだろうか。
だが,知られるとおり,評論家と学者は別物だったはずなのだが。

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春が来た,というのをいつ実感するかは,実際の居住地域の別はあっても,それぞれの民族に固有の共通感覚があるに違いない。一種の「文化基準」のような。そして,日本人のわれわれのそれは,やはり,桜の開花と深く結びついているのではないだろうか── 昨日の夕方,川端通りを会合の場所に急ぐ車の窓から見た白川の桜はもう八分の開花だった。
インターネット・ブラウザのホームページの片隅に配置したガジェット上で流れている,モスクワ大学の塔からのWebCamera映像でも,この1週間でもう雪も消えてしまった。
http://158.250.33.102/axis-cgi/mjpg/video.cgi?camer
なんだか朝から,笑い声の絶えない研究室職員の娘さんたちに声をかけてみた:「どうしてそんなに上機嫌なんですか?」 「だって,春なんですもの!」──彼女たちが声をそろえて,いかにも楽しげに答えてくれたあの日の,モスクワの研究所での情景が脳裏に去来することだ。

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この厄介な「引っかかり」を

黄砂が吹き寄せ,花粉が舞い,街の空気は心持ちよどんでいるが,それでも確実に「間もなく春だ」ということが感じられるようになった。
もうとっくに出ているはずの本が一向に姿を見せないのが気にかかるが,そんなことは大したことではない。そのうちに出るだろう。問題は,多くの同僚が生産的な作業をつめているだろうこの春の休暇にもかかわらず,僕にはまったくその時間がないということだ。
その中で,明後日からは中国で一週間。日中青少年友好年ということで両国の青少年1,000人づつの相互訪問が実施されるのに際して,大学に中国政府から学生の招待があり,100名の学生をともなっての訪中となった次第。しかし,正直に言って,心は弾まない。──この間の「冷凍餃子」事件を巡っても表面化したように,彼我の間には「宿命的」なとさえ言える相互の依存関係があり,またそれだけに,深刻かつ微妙な政治問題と市民の意識における屈折がある。突然にそれに直面して,学生たちはどう反応するだろうかと思う。いや,それが問題だというわけではないことはわかっている。問題は僕自身の中にあるのだ。だが,それを説明することは簡単ではない....
別段,思わせぶりなことを言うつもりはないのだが,僕の頭の中で,高校時代に読んだ毛沢東の『矛盾論』のテキストのいくつかや,中ソ論争を伝える新聞の紙面の映像,文化大革命期のニュース画面,赤い『毛沢東語録』の小冊,横たわる毛沢東の遺体の写真,「四人組」裁判の報道,そして突然に始まった鄧小平の下での「改革開放」という名の市場経済化── このころからは,現在の中国の姿に重なり合ってくるが,この間の過程の振幅の激しさから見たとき,その評価について(あるいは感情的に)整理がつかないのだ。過去2・3回の北京や天津など都市部の訪問でも,その折のまた日本での中国人研究者や政治家との面談から得た印象でも,結局は拭いがたい違和感が残ったままなのだ。この厄介な「引っかかり」をどうしたものだろう。

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南座で「三人吉三巴白浪」

もうとっくに正月気分は抜けているが,それでもこのところ恒例の前進座新春公演。今年の演目は河竹黙阿弥の「三人吉三巴白浪」。大川端の場での國太郎演じるお嬢吉三の「月もおぼろに白魚の」に始まる名科白だけでも,木戸銭の価値はありそうだ。黙阿弥の世話物らしく,入り組んだ因果因縁の物語だが,その発端が伝吉の刀剣の盗み出しと襲ってきた野犬の殺害だったと考えると,何とも暗い話だ──知らぬ間に近親相姦のタブーを犯し,実の兄・和尚吉三に殺され首にされる十三郎とおとせ,救いがない。が,舞台としてはきわめて美しく,とくに大詰めの「本郷火の見櫓」の場では,降り止むことのない雪の中で赤地衣裳のお嬢,黒地衣裳に浅黄襦袢のお坊,表地黒で裏が紫という捕手たちの格好も決まって,大立ち回りの中で幕が閉じられた。
舞台が跳ねた後の懇親会には,わざわざ梅之助が上洛して出席となったのも,昨年秋の梅雀の退座やら何やらについて説明せねば,との気遣いからだろう。だが,そのあたりの事情は大よその見当がついていることで,誰も気にしていない。それでも,来てくれたことは嬉しく,この機会に先日の朝日舞台芸術賞の受賞をお祝いした。 何時会っても,この人は,巧みな話術と細やかな気配り,役者としてだけでなく人間としても「格」のようなものを感じさせられる。
聞きそびれたのは,つまらぬことなのだが,おとせが拾い,お嬢が奪い,和尚がせしめ..... と転々とする百両の「かさ」のことだ。あれではせいぜい切り餅一つ,二五両程にしか見えないのだが。

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いくじなしの一人として

伊東 改めてお伺いしたいのですが,今の法学者はなぜ死刑廃止論に行かないのですか。
団藤 これには憤慨しているんですよ。いくじなしばっかりで,みんな根本問題を考えようとしない。ごくごく表面的な解釈論ばかりで。解釈論もなきゃならないけどね,腹の底から出る解釈でなきゃならない。アタマの中の解釈論ばっかりやっているから。いま東大法学部をはじめ,若い人にもっとがんばってほしいと思っているんですけどね。

『反骨のコツ』ではくり返し,刑法学者はいくじなしばっかりだと言われ,最高裁裁判官についてさえ「連中自身は,僕の入ったときは全くだめでね」と切り捨てられている。どうも,死刑廃止論に立たないことがそのような判断の基準のようだが,それなら,同書で「僕も教授在任中には,まだ廃止論にはなっていなかったんです」と書いているご自身の経験からも,もっと長い目で見てあげた方がよいように思うのだが。

しかし,教室で学生に死刑廃止論を講義しなかった刑法学の教授,判決において,たとえ少数意見としてでも,一度たりとも死刑反対を書かなかった裁判官が,退職後に,かつての彼と同じく振舞っている学者や裁判官を非難しののしる姿はあまり品のよいものではない。すくなくとも,賞賛すべきこととは思われない。

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『反骨のコツ』

奇妙な表題だなと思いながら,手にとっては見なかった新書版の一冊だが,新聞の書評欄の記事につられて,通勤の電車とバスの中で目を通してみた。
その途中で,卒業生の一人から,「[年配の]学者の書いた本と言うと、大抵は説教や、自慢話が多いのですが(最近出た団藤先生の『反骨のコツ』はそうですね)」というような感想をもらったのだが,まあ,それは言い過ぎだろう。インタビュアで編者である伊東准教授とお二人で,気分よく話し込んでおられるだけのことなのだから。
それにしても,東大法学部教授,最高裁判所判事,東宮侍従といった経歴をたどった人が「反骨」の生き方を語るということの違和感は拭いがたいものがある。自分の国語力に自信をなくして『広辞苑』を引いてみると,やはり「反骨=権力に抵抗する気骨」という説明がある。すると,この「権力」というものの捉え方が違っているのだろうか。

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犯罪の6割は再犯者によるもの,か?

今年の『犯罪白書』が公表されたようで,近日中にその現物を入手できるだろうから,それまで待ってもよいようなものなのだが──
各紙が伝えるところでは,今年の特集は「再犯者の実態と対策」のようだ。「犯罪の6割が再犯者によるもの」という見出しが躍っている。ちょっと読んでみると:
「犯罪者に占める再犯者の割合が約3割なのに、犯罪件数の約6割が再犯者によって行われていたことが分かり、再犯防止への取り組みの重要性を改めて浮き彫りにした。
 再犯者に関する調査は法務総合研究所が実施した。対象は1948年から06年9月までの刑法上の罪などの確定者100万人。このうち、再犯者が占める割合は28.9%だったが、この100万人が犯した犯罪約168万件について見ると、57.7%が再犯者によるものだった。」(讀賣新聞)
 再犯者問題の重要性はつとに指摘されていることで,僕の理解では,わが国の犯罪情勢の安定をもたらしている要素の中でも大きな一つが,再犯者問題の緩和──それはそれで,さまざまな段階でのディヴァージョンのシステムによる,犯罪者の起訴率の低さや刑罰の軽さ,したがって拘禁刑の適用される割合の少なさなどの結果なのだが──にあるのだが,そのわが国でも,問題はなお深刻だということなのだろう。
 しかし,ここに挙げられている数字は何だかおかしい。その発生が知られた全犯罪を誰が犯したかを知る手立てはなく,検挙率はせいぜい30%程度(交通事犯を除いた刑法犯で)なのだから,どんな根拠で「犯罪の6割は再犯者によるもの」などといえるのだろうか。上の法務総合研究所の研究方法がそのとおりだとして,そこで窺われるのは,戦後のわが国において有罪が確定した合計100万人が犯した168万件の犯罪のうち,再犯者(100万人中の28万9千人)によるものが6割に近かったということに過ぎない。
 いずれにしても,白書あるいは警察庁の統計が手に入った段階で,正確な検討作業が必要だろう。

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「15週問題」

来年度の学年暦を決める時期になって,今年もまたぞろ「15週問題」が吹き荒れた。
どこの大学も悩んでいるはずなのだが──
要するに大学における授業の質の問題であり,質を確保する全体としての授業時間の問題なのだ。2時間の授業を1コマとしてこれを15回で,専門科目では2単位,語学科目では1単位という「設置基準」の解釈を巡って,実際に15回の授業と1回の試験時間の配置を暦日に落とし込んだ提案に,猛然と異議が唱えられ,時には「当局による独断・押し付けである」との抗議が叫ばれる。
たしかに,「ハッピー・マンデー」のばら撒きや,複数大学を掛け持っている非常勤講師の不都合など,多くの困難を作り出している事情はあるのだが,しかし,教育というサービスの内容を惜しみ,いわば「上げ底」商品として提供することでお茶を濁そうという発想自体が情けないが,それを臆面も無くわめき立てることには,正直,理解ができない。それは大学の教員としての自身に対する背反行為ではないだろうか。

おそらく,近い将来には「2時間」問題が生じるだろう──現在はほとんど全ての大学で90分の授業を「設置基準」の2時間と見なしているが,そのような公認のごまかしがいつまで通用することか。外部からその是正を迫られたときの大騒ぎが,今から目に見えるような気がする。
それにつけても思い出すのは,われわれが大学に入った当時の時間割だ。朝8時から10時が第1限,10時から12時が第2限,1時間の昼休みがあって,授業は17時までだった。冬の朝の法経4番教室の寒かったこと,用務員が教室前方のだるまストーブに石炭を入れ,器用に火をつけていたことなど。 「大学の15分」という「慣習法」の説明を聴いたのも,2回生の4月,同じ法経4番教室での於保先生の民法総則の授業でだった。
──すべてはあの「学園紛争」の以前のことである。

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思いがけない再会

声をかけられて顔を上げると,思いがけない人物が立っていた。T君,相変わらずやせていたが,ノーネクタイのカッターシャツ姿で,にこやかに笑っていた。
勤務する大学の運動部のために新たに開設されたグラウンド等の完成を祝賀する式典の場。まだ真夏のものと変わらない太陽の照りつける中,スーツ姿の一団の中でのことだ。
聞けば彼はこのグラウンドに隣接する県立養護学校で教鞭をとっており,母校の運動部のための施設とはいえ,山林を伐採しての大規模な造成工事に不安を覚えて,大学の施設部局と交渉をもって来たのだという。幸い,彼の危惧したような事態は回避され,かえって,運動部の学生と養護学校生徒との交流の機運もできたりで,結果的には,喜ばしい状況が作られた,とのこと。祝賀会にも招待され,喜んで出席した,と。
具体的な経過を承知していなかったのだが,彼の話を聞きながら,本当にうれしかったのは,一つには,彼をはじめとして養護学校の関係者,あるいは地域の人々との誠実な協議と相互理解の手はずを,われわれの大学関係者が大切にしたことが確認できたことだ。
それともう一つ。T君が自分の天職を見つけ,充実した生活を築いていることを確認できたことだ。

もう10年ほども前のことだ。修士論文を提出したT君が,後期課程には進まないと言っている,と聞いて,研究科の役職にあった僕は彼と面談したのだった。今は亡きY教授の下で憲法を学び,研究者として世に出るための第一関門を通過した段階で,小学校教員になりたいという彼の願望を,しかも合格するかどうかわからぬ教員採用試験をこれから受けるのだという彼の言葉を,僕はあぶなかしげに聞き,後期課程へ進んで大学教員を目指した方がよくはないかと,説得しようとしたのだった── もちろん,説得は成功しなかった。
3・4年後になって,彼が同期のW君(当時はKG大学の民法の助教授になっていた)と結婚したことを知ったときには,「少なくとも大学教員の夫にはなったわけだ」,と密かに納得したことを思い出すが,このことは彼には言うまい。
別れ際,W君は元気かとの僕の言葉に,「実は今,二人目が出来まして」とT君は答えて,はにかんだ表情を見せた。

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日程管理はPapyrusで

もう8月になったというのに,一向に「休暇」に入れない。書かれるべき原稿のことや,教科書の改訂の作業のことが,会議の合間に頭をよぎるが,その前にレポートと答案の採点を済まさなくてはならない。
スケジュール表を眺めては,なかなか時間が取れないことに,自分でも機嫌が悪くなっていることに気づく。
中国の山東大学から,「国際組織犯罪」に関する国際シンポジウムへの招待が届いたが,10月中旬のその時期に大学を空けることができるとは到底思われない。
そういえば,手帳を持たなくなってもう4年目になる。最初はSonyのClieを2年半ほど,それに代えてNokia 6680=Vodafone 702NK2を1年余り使い,そしてこの春からは Nokia E61 へと移行した。そのつど,新しい機能に心をときめかせ,惚れこんで来た。この E61 は,日本語版をSoftbankが発売するのを3月まで待った挙句に,「法人契約でなければ売れません」と言われ,職場の事務に持ちかけて買ってもらおうかなどとも考えたのだが,「えい,面倒くさい」と思い切って Nokia の日本法人から直接自分で買うことにした次第。http://www.nokia.co.jp/phones/e61/index.shtml 702NK2のSIMカードをこれに差し替えて,従来と同じ携帯電話として使っているのだが,このE61のすごいことは,それ単体で無線LANの端末として機能することだ。自宅や職場だけでなく,JR駅などのHot Spotでもメールの確認やブラウザ検索が可能だ。6680との決定的な違いは,小さいがQWERTYキーボードがついていることで,ちょっとしたメモをとることも苦にならない。MS Officeの文書を閲覧できるとかe-Bookを読んだりダウンロードした前夜のブレーミャのニュースを聴くこともDivXビデオを観ることもできる。
そして,スケジュール管理はもっぱらPapyrus(シェアウエア)でやっている。

大概のことはできる,と折を見て周囲にも勧めるのだが,なかなか同調者が現れない。僕の方がおかしいのだろうか。

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祇園祭から大文字まで

人ぞ知る京都の夏の炎暑だが,この地の人々は「大文字までのこと」と言い合って,8月16日を待ちかねている。それにつけても,昔の僕が,百万遍近くの下宿のクーラーもない西向きの一部屋でよくこの夏の期間を耐えたものだと思う。
気がつくと7月も終わりで,5ヶ月以上もこのブログを放ったらかしにしていたことになる。──3月の初めから,ちょっと重たい役職に引っ張り出され,予想通りに生活が一変したことの,これは結果なのだが。
この間の生活の変化の中で,最も大きなことは時間の密度の変化だろうが,それは単に,いわゆる「研究」にあてる時間の絶対的な減少ないし消失だだけでなく,さまざまの事務に気力を奪いつくされ,机に座りながらも何も手につかないというような場面の増加にもあらわれている。まあ,繰り言はいうまい。

何人かから「壊れ窓」ならぬ「壊れブログ」だと注意されたこともあり,少しは心を入れかえて,適宜のメンテナンスを怠らないことにしたい。とはいえ,授業は終わったはずなのに,一向に暇にならないこの現状を何としたものか。

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ラリーサ・レイスネル

同僚のI教授にペトラジツキーのことを尋ねられた:彼の書いたものを,できれば英語のものを所持していないか,と。法と心理学について論じる際には,まずもってペトラジツキーの研究を参照する必要がある,と主張する英語論文を読んでいるのだということで。ロシア語版Googleで検索,ペテルブルグ大学の法哲学教授でカデット(立憲君主党)の大立者,ロシア革命後はワルシャワに亡命,などの基礎事実をI教授に伝え,残念ながら手もとに文献はない,と。

ペトラジツキーにまつわる一連のことが,その時すぐに思い出されなかったこと自体,僕がどれほどあの時期から遠ざかってしまったかを露呈するものだろう── 夜,就寝前にいくつかのことを思い出し,愕然とした。
レイスネルの師ではないか。

革命ロシアの法学界においてユニークな立場を占め,「革命的直観法」概念を提唱して立法領域にも強い影響力をもち,有名な「裁判所に関する布告第一号」は彼のイデーを反映したものだといわれた,ミハイル・アンドレヴィッチ・レイスネル。ワルシャワ大学法学部に学び,キエフ大学,トムスク大学などで授業を持つ一方で,革命運動に関与したとして国外追放になり,1905年に帰国後はペテルブルグ大学などで教鞭をとっていた。彼はペトラジツキーの「直観法」理論に強く共鳴したが,それはペトラジツキーが法現象の最基底に存在するものとして法意識を捉えたことによる。レイスネルの理解では,法意識の主体は具体的な人間であり,その具体的な人間は現実の社会において否応なく経済的,社会文化的な利害関係の狭間におかれるところから,平板一律な法意識などは存在しえず,それはまさに階級的な性格を帯びた複数の法意識として立ち現れるのだ。そして,ロシア革命において勝利した労働者・農民の携えていた法意識こそ,新生ロシアの法現象を貫く「革命的法意識」として,すべての立法活動と法執行の基礎に置かれねばならない。後に,「法のモザイク理論」として批判されることとなるレイスネルの主張であるが,ロシア革命直後の激動期にはその与えた影響力は絶大であった。

それらのことを追いかけていた当時,まだ若かった僕にとって,さらに印象深かったのは,むしろその娘,ラリーサのことだったかもしれない。ワルシャワで生まれた彼女は父に従って10歳でペテルブルグに移り,革命と戦争の時代の中で青年期を過ごし,10月革命の後の国内線の時期には,ボリシェヴィキ党の政治宣伝のために全国を駆け巡り,コミッサール(政治委員)として東部戦線にも赴いた。前線でのフョードル・ラスコーリニコフとの出会い,ネップ期に大使としてアフガニスタンに派遣されたラスコーリニコフとともに滞在したカブールでの日々,モスクワに帰ってのカール・ラデックとの恋,そして未だ30歳の若さでの死──チフスだった。 大きな帽子をかぶり,少し首をかしげながらこちらを見ている彼女の写真が,わずかに記憶に残っている。
しかし,最初に彼女のことを読んだのはどこでだったろうか。エレンブルグの回想録? それともマヤコフスキーの関連でだったか?

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和歌山刑務所へ

写真で見たとおりに,国道24号線側に面した和歌山刑務所は,青磁がかった色合いのタイルとガラスの壁が目立ち,とても刑務所とは思われぬ建物だった。これは管理棟だが,その背後の塀も比較的低く,目立たない。
30年ほど前にM先生のお供をしてここを訪れた際の印象は,多くはぼやけてしまっているのだが,しかし塀はもっと高く,建物も威圧的だったと思う。内部も清潔に維持管理されている印象。受刑者の居房は例の星型のものだったはずだが,これも新しくなって,並行した3棟の二階建てになっている。工場は縫製作業が中心。外部通勤制の試みとして注目されていた「いずみ寮」が廃止されたのは,結局,刑務所当局の人手不足が遠因のようだが,残念なことだ。
ここもまた過剰収容の状態で,500の定員に対し686名(137%)を収容,定員6名の雑居房に8人を入れ,布団は7組しか敷けないので,布団を出した押入れの上段が8人目のベッドになるという状況で,このベッドはなかなか人気があるという。収容者の中に外国人が混じるのも,昨今の状況からすれば,当然ということだろう。
舎房を見せてもらっている際に築4年のはずの壁のところどころにカビらしい汚れが見えた。「多数の者が生活しているとどうしても湿気がこもりまして」と案内の刑務官が説明 ──だが,僕は別のことを連想していた。

今回,学生を伴って少し足を伸ばし和歌山刑務所を参観することにした動機の一つは,ここにゾルゲ事件の関係者が収容されていたことを思い出したことにある。(参観から帰って,確認のために段ボール箱をかき回して探し出した。尾﨑秀樹『デザートは死』(中公文庫1998年)で読んだのだ。)
ゾルゲ事件に関与して1941年9月に検挙された北林トモは,クリスチャンとしての立場から反戦平和のための運動に共感し,宮城与徳の在米中の活動に協力したことをとらえて,治安維持法・国防保安法違反で起訴された。判決は懲役5年。当初の収容先は知らないが,和歌山刑務所が女子刑務所となった44年春にここに移されたのであろう。45年2月に危篤状態で保釈,数日後に死亡した。58歳だった。
強く印象に残ったのは,その病名だ。疥癬だったという。
和歌山刑務所で彼女が入れられたのは北向きの独房で,唯一の窓からも陽は差さない。湿気と不衛生のために,最初は手の指の間に始まった疥癬が,一月と経たぬ間に全身に広がり,かさぶたができ膿疱がつぶれ,それがまた新しい膿疱をつくり,悪臭を発するようになり..... そして当時の食糧事情からくる栄養失調。一般社会に居れば何の変哲もない皮膚病に過ぎない疥癬が,大柄だったという一人の女性を簡単に殺してしまったのだ。 懲役刑はたしかに自由刑の一種だが,その執行条件によっては生命刑ともなりうるということが,ここにもよく示されている。
キリスト者として,「わたしは一人で祈りたい。平和は必ず勝つ。」と繰り返していたという北林トモ。「写真花嫁」として34歳でアメリカに渡り,農業に従事する夫とともに平凡な家庭を営み,洋裁の私塾を開いてもいたという彼女は,帰国後に囚われの身となり病に犯されたこの和歌山の地で,ロサンジェルスでの陽光あふれる日々をどんな想いで振りかえり,夢に見たであろうか。
和歌山からの帰途は気分が沈んだ。

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Nokia E61

Vodafone=Softbankの携帯電話を使っていた娘が,機種を更新する機会に僕と同じNokiaのスマートフォンにしたいということで,各機種の比較。最近発売された”Softbank 705NK=Nokia N73”に決めたのだが,その紹介記事を見ている際に,偶然,目にとまったのが”Nokia E61”だ。 http://www.nokia.co.jp/phones/e61/index.shtml これは面白そう,欲しい,と気持ちが騒ぐ。
Sony Clie を諦めて,Nokia6680=Vodafone 702NK2 に乗り換え,これで日程管理までやろうとして1年が過ぎたが,やはり,日常的に困惑しているのは,2点:ディスプレイの小ささとテンキーでの日本語入力の非力さだ。これが多少でも改善されるのであれば,E61 に乗り換えようか,と考え込んでいる。ちょっと高いか,それに,発売早々在庫切れとのことで,しばらくの余裕はあるようだし...

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気の重い年明け

例年のこととはいえ,通り一遍の年賀の言葉とかき集められたタレント達のばか騒ぎが延々と続くと,ニュース番組が終わると同時にテレビのスイッチを切ることになるのだが,1月1日夜のNHK地球特派員スペシャル「地球マップ2007 “格差”と“競争”にどう立ち向かうか」(NHK BS1)は,例外的に,見応えがあった。グローバル化の歪みを視覚化した“地球マップ”を使いながら,手前勝手な「グローバリゼーション」の合言葉の下に強引に推し進められる国際的な収奪と国内での格差拡大の実態を描き出していた。姜尚中,伊藤洋一,江川紹子,榊原英資といった面々がイギリス,アメリカ,メキシコ,中国などの現状をレポートしながら,(もちろん多くの点に温度差を伴いつつ)この眼前の混乱をどう捉え,それにどう対処するかを論じていた。まさに,「勉強になった」が,同時に,もどかしい思いも残った。

番組では触れられなかったが,グローバリゼーションによって生まれた“格差”と“競争”に対する,もっとも尖鋭な形での反応が犯罪だということも指摘されるべきだろう。
貿易市場の拡大が経済法則からする必然であり,その地球規模化は早晩予想されていたことであるとしても,それに犯罪現象の拡大が随伴するとの予測は,これまで語られてこなかった。
しかし現実に生じているのは,多様な背景をもつテロ犯罪の流行,地域紛争や宗教的な紛争にともなう人権侵害あるいは難民の大量発生,そして,麻薬・薬物などをはじめとする国際的な犯罪組織の暗躍などといった,各種の国際犯罪の噴出だ。かつての冷戦構造の世界においては,東西の両陣営の内部において強権的に押さえ込まれ,あるいはイデオロギー的に収斂・表出を妨げられていた各種の民族的な利害や宗教的・文化的な志向が,そのたがの外れたことによって生じた(地域的な)権力の空隙を狙って,各種の組織形態をとって自由な活動を開始した,その一つの表れが各種の組織犯罪なのだと見るべきだろう。具体的な犯罪被害は,先進工業諸国において,テロ被害や薬物依存の拡大として注目され,それ自体が新たな社会不安と排外主義的な風潮をもたらしているが,被害は,しかし,実際には欧米諸国以上に中東や東南アジアの諸国において深刻だ。テロ攻撃の矛先はまずもって同じ地域に住む異民族や異教徒に向けられ,外国資本と組んでの天然資源の囲い込みが暴力的に行われ,人身売買の被害者はとりわけてそれら諸国の女性や子供だ。弱体でときに腐敗し未整備な権力機構は地域社会の安定も住民の安全も護ることができず,国境管理も不十分なまま、犯罪組織の活動を野放しにしている。のみならず,紛争により生じた難民を劣悪な環境にさらし,また伝統的な経済構造の崩壊により多数の失業者を生むことによって,犯罪組織の構成員を不断に補充している── これもまた,明白なグローバリゼーションの「成果」とされなくてはならない。

この,圧倒的な雲海に地上のすべてが飲み込まれていくような未来図を前に,われわれはどう抵抗できるのだろうか。気の重くなる2007年の年明けだ。

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原稿の期限からの連想

われわれのような年代になれば誰でも,一つや二つは,あるいはもっと多くの,気がかりなことを抱えて毎日を過ごしているものだろう。その場合,むしろ不思議なことは,それでも普通の生活を人々は営んでいることの方かもしれない──いくら気がかりなことがあっても,それだけで煮詰まってしまえないのだ。
こんなことを思うのも,現在編集中の論文集に,予定通りの期日を過ぎてもなかなかに原稿が集まりきらぬことがあるからだ。出版社との約束の期限の「本当の限界」が近づく一方で,「書けない」ので「もう少し待ってほしい」との言いわけや,あっさりと,督促のメールへの無反応が続く。気の弱い僕としては,ただひたすらに「お願い」し,いらいらを募らせるしかない。
「そんな本の編集など引き受けなければよいのに」,と能天気に家人はのたまうが,科研費の後始末やら何やらの儀露とかで,首の回らないこの状態をわかってくれというのは無理なことなのだろうか。

しかし,考えてみると,原稿の期限を守る人とそうでない人というのは,まったく違った"人種"で,ことほどさように他の局面でも,期限あるいはより一般的に約束ということに対する構えが違うような気がする。僕自身がかかわってきたいくつかの共同作業を思い浮かべてみて,確かにそうだ,と思う。
これはどういうことなのだろうか。
何か,幼少期に強い印象を与える原体験があって,期限や約束は守らなくてはならないということをその人格の基層に刷り込まれた人とそうでない人となのだろうか。あるいは,もっと以前に,いわば遺伝的に決定された"几帳面さ"あるいは"誠実さ"といったその人の人格そのものの特質に由来するのだろうか──

かつてN先生にうかがった瀧川先生の言葉:人の生は結局は時間なのだから,約束に遅れた貴君はその時間の分だけ私の生命を奪ったのだということを知りなさい── 凄いとしか言いようがない。もし自分の先生にこう言われたら,僕など,そのままビルの窓から飛び降りるか,少なくとも,大学も職場も捨てて郷里に引っ込んでしまうだろう。

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「べトンの要塞」

学会とあって,久しぶりに中央大学多摩キャンパスへ。ますます建物も増え,要塞は拡張の一途をたどっている。立川駅からのモノレールが繋がり(2000年のことらしい),格段に便利になったが,そのためにますます非現実的な空間になったような気がする──モノレールの駅に降り立つと,周辺に民家の一軒も喫茶店の看板も見ることなく,そのまま直接にキャンパスに入ると,この日はたまたま「ホームカミングデー」ということで,白く輝く無機質な建造物群の間に,多くの卒業生らしい年配者が集っていた。ここが彼らの「ホーム」だというのは,何かの冗談のような気がしたが。
もちろん,勉強するのには最上の環境だ,ということなのだろうが,30年近く前に初めてキャンパスを訪れた時の印象が薄れない。
学会のほうは,まあ,研究報告もシンポジウムも,それなりに興味のある内容で,勉強にはなった。
そして,何人かの知己にかけられたのは予想通りの言葉──新司法試験の結果に関わっての「大変だったね」だった。彼らがどんな気持ちでそのように言っているのかは,あえて,斟酌しないことに決めてはいても,当方の身に応えることに変わりはない。
この間にいろいろの「反省」と「検討」があり,「見直し」や「改善」,「強化」の作業が進められたが,僕個人にとっては何ごとも救いにならない。何よりも,指導した学生たちの中の不合格者たちの顔が思い浮かぶのだ;その誰一人として,恨みがましい非難を口にしないだけ,なおさらに僕自身の自責の気持ちは強まる。もっと厳しく,もっと的確な,指導を重ねるべきだったのだ。お互いに未経験とはいえ,少なくとも教師として,全国的な状況と彼らの力量とをより客観的に見ることができたはずだし,できなかったというのであれば,それをするための方途を尽くすべきだったのだ。この露呈された力量の不足をどう埋め合わせればよいのだろうか── 
法科大学院の制度としても,未修者第一期生が出揃う来年の試験が,おそらく,最後の検証の開始を告げることになるだろう。いかにその時に臨むか,いずこの大学も悩みは深いはずだ。

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当事者主義の訴訟は

ちょっと確認したい点があって,学生時代から手もとにある平野龍一博士の刑事訴訟法の教科書を開くと,「当事者主義の訴訟は,合理的な精神を前提とする。」との一節が目に飛び込んできた。
続けて,「当事者主義訴訟は,国家権力を悪とし,『権限を持つものには権威を与えてはならない,権威を持つ者には権限を与えてはならない』とする思想を背景とする。そしてはじめから(すなわち,捜査機関の)権力の行使を制限しようとするのである。しかし,現在の都市化し,社会化した国家においては,国家権力をただ排斥するだけでは,すまされない。捜査機関に多かれ少かれ,権限を与えざるをえなくなる。これを否定して当事者主義の形骸だけを維持しようとすると,権力は法外の暴力となり『保障のない糾問主義』(Inquisitorial system without its guaranty)となる危険もある。そこで,むしろ権力に権限を与えて,そのかわりにこれを法的にコントロールした方が得策ではないかという問題がおこる。」
懐かしい平野先生の肉声を聴く思いがする。奥付で確認すると1958年初版・1967年初版第19刷となっている。であれば,現行刑事訴訟法の施行10年ほどの時期に,気鋭の刑事訴訟法学者としての先生が書かれた文章だということになる。正直,すごいなと思う。
この一節には,当時よく使っていた青い色鉛筆で傍線が引かれている── が,20歳になったばかりの僕は,何を理解したつもりになっていたのだろうか。

学部学生のコンパに付き合った後,これから季節はずれの花火で遊ぶという彼らと別れ,久しぶりに先斗町のウオトカ・バーへ。意外にも客は誰も居らず,ゆったりとマスターのNさんと世間話。最近はこれが人気があります,と勧められた《スタンダルト》は,たしかにずしりと手応えのある味だが,何かしら特徴がない。《スタリーチナヤ》を重くしただけのような感じ。これがスタンダルト(基準)か,と思うとつまらない。むしろ《デルジャーヴナヤ》の方が,僕には好みだ。まあ,実際には,ラベルそのままに颯爽とした《クバンスカヤ》を味わうことができないのなら,何でもよいのだが。
もっぱら《デルジャーヴナヤ》を注いでもらい,当事者能力の残っているうちに帰宅。


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腎臓を売る

メディアが一斉に伝えるところでは,愛媛県で昨年行われた生体腎臓移植手術をめぐって,臓器売買の事実があり,臓器移植法違反で元患者と仲介者の2名が逮捕されたとのこと。( http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061001it11.htm )
約束した対価が実際に支払われなかったことから,臓器提供者が警察に相談するなどして発覚したようだが,やはりそうか,という感想だ。
一方に臓器を必要とする人がいて,他方には提供したい人がいる──問題は,その両者の間に存在する経済的な格差だ。移植医療は無料ではない。そして,間違っても,豊かな側が貧しい側に臓器を提供するようなことはないのだ。
腎臓移植手術の場合,健康保険の適用を受けても,予後の対応を含め1年で600万円程度の負担が必要とされている。となると,そのような医療を受けられる人と受けられない人とが生まれるのは当然だが,ここにはさらに,提供される臓器の少なさから来る「臓器獲得競争」が生じざるをえない。つまり,高い値段をつけた人のところに,優先的に臓器は行くのだ。そんなことはない,との叫び声が起こりそうだが,しかし,腎臓提供者を求め中国や東南アジア諸国で移植手術を受けようとする日本人が多く存在することをどう考えるべきなのだろうか。国内でも,実際には,今回の事件のような事例は多く存在したのではないだろうか。
「臓器移植ネットワーク」のような団体の活動が,きちんとした透明性を獲得し,日本社会で広く受け入れられるまでには,まだまだ時間がかかりそうだ。そしてその他方で,死後の臓器提供を自ら選ぶ人を,脳死論議の性急さが戸惑わせている。

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ボロジンスキー

大学院生の中に勇敢なお嬢さんがいて,この夏,モスクワとサンクト=ペテルブルグを旅行して,無事帰国したとの知らせとともに,お土産の黒パンが届けられた。
ほっとして,嬉しかった──ほっとしたのは,彼女がともかくも無事に帰国したらしい(今度会ったときにいろいろと聞いてみよう)こと,嬉しかったのは,黒パンが到着したことだ。
何だ,パンのごときで,と言うなかれ,これはとても貴重なものなのだ。まず,日本では手に入らない。(横浜の「サンドリヨン」というパンやさんが,ほぼこれに近いものを作って,インターネットでも注文できるが,やはり本物ではない。) しかもボロジンスキー! ボロジノというのはモスクワの西100kmほどの村の名前で,そこのライ麦を使ったパンなのかもしれないが,それよりも,1812年のフランス軍との大会戦で有名な平原で,「ボロジノ」というのはロシア人にとって格別の思い入れがある名前らしい。それはともあれ,黒パンとしては超一級のもの。早速,ペーパータオルでくるみ,ビニール袋に入れて,冷凍庫へ。
これでしばらく楽しめる。
と思ったとたんに,不愉快なことを思い出した──クバンスカヤが無かった。
2000年頃から,日本ではなかなか買えなくなり,しかも,味が変わってしまった。かつてのような自然な風味が無くなり,機械的な味がするようになった。さりとて,アブソリュートのシトロンに乗り換えられるものではない。まったく別物だ。どうやってもう一度,本物のクバンスカヤにたどり着けるか..... 心の底でおそれているのは,もしかしたら,本国でこの銘柄が無くなっているのではないかということだ。

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思いがけずの 辻 邦生

中学・高校と一緒だったA君が郷里の国立大学で医学部の教授となり,専門が皮膚科で頭髪の権威だということは知っていた。毎年交換している賀状でも,当方の頭髪が無くなってしまう前に,画期的な新薬の発明をと,祈らんばかりに頼んできたものだ。
知らなかったのは,彼が辻 邦生のフアンで,その全作品に惚れ込んでいたことだ。
郷里で開かれた同窓会の同じテーブルで,偶然にこの事実を聞き,とたんに嬉しくなって,思わず二人で話し込んでしまった。未完に終わってしまった『フーシェ 革命暦』の大構想,『春の戴冠』に描かれたフィレンツェ,『西行花伝』での西行の描き方,『安土往還記』での信長のいかに魅力的なことか。そして,何よりも『背教者ユリアヌス』! 
かつて大学の記念祭典にノーベル賞作家のOを呼ぼうという動きがあり,彼が強く反対して辻 邦生を推薦したということもあったとのこと。当然のことだろう,およそ比較にならない。圧倒的な言葉の力,言葉の美しさ──そう,すべての若い人たちにきちんと読ませるべきは,まさにこれらの本なのだ。

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同窓会 雑感

格別の思いいれも無くて,長い間出席しなかった郷里の高校の同窓会だが。今回出席したのは,卒業後40年という区切りにあたると言われて,「ということは,この機会に会わなければもう一生会えないかもしれない」と思ったことが大きいだろう。電話で誘った友人のYのように,「別段会いたい人間が居るわけでもないし」,と尻込みする気分はどこかに残っていたのだが。
団塊の世代のわれわれの学年は600人ほどもいたはずだが,出席者は100人ほど。多くの懐かしい顔に出合った──というのは,むしろ,各人が胸に着けたカードにプリントされた卒業写真の顔の方で,生身の身体に着いた顔はとうてい見分けがつかない。それでも,3年間の在学中に同じクラスになったことのある何人かは,昔のままの雰囲気をたたえていて,断片的な思い出話など。

それにしても(と思ったことだった),一別以来われわれの世代がたどった歴史はそれなりに振幅の大きいもので,大学では学園紛争,卒業後は石油ショック,アフガン戦争,地価バブル,平成大不況,社会主義圏の崩壊,テロ戦争,と振り回される中で,多くの者が個人生活の上でもさまざまに成功と失意とを味わってきたに相違ない。出席しなかった者の中には,あるいは,気分的にも経済的にも,出席するゆとりのない友人たちがいたことだろう。だが,はっきりしているのは,われわれの今の経済的な富裕であれ窮迫であれ,あるいは社会的な地位もまた,多少の天分や努力の寄与はあったにせよ,その大部分は偶然的なものの作用の結果なのであり,そしてさらに,たとえば40年後には,ほとんどすべての者にとって,何の意味もないものに返っていることだろう。
それでも。数えた人によれば,われわれ600人の同窓生の内では110人余が医者になっているそうだ。とても尋常な比率とは思われないが,ニ次会の席で赤ら顔でカラオケに向かい,ゴルフの腕を自慢するだけのそれら面々を見ていると,日々この手の「成功者」の顔を見ながら暮らしていくことはさぞかし不愉快だろうと,この地に住んでいない幸せを思わずにはいられなかった。
もう一つ発見,というよりは再確認したのは,人間の基本的な性格,人柄は簡単には変わらないということだ。40年経っても,にきび面のあの頃とまったく変わらずに横柄で,開口一番,予想したとおりに人を不愉快にせずにはおかない男がいる一方で,冗談の一つも言わずに相手を愉快な気分にさせ,打ち解けさせる者も,破天荒,支離滅裂な話をがなり立てているうちに,不思議と相手を説得してしまっている者もいる。当方の顔を覗き込みながら,真剣に話し込んでいたはずなの相手が,ふぃと居なくなってしまって,ああ,40年前もこんなことがあった,と思い出したりもした。

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『風の影』

通勤の行き帰りの読書の楽しみは,この間しばらくおあずけだった(全般的な気ぜわしさと良い作品の不足のおかげで)のだが,久しぶりの手応えを感じさせてくれる作品に出会ったように思う。この,スペインで2001年に公刊されたカルロス・ルイス・サフォンの小説が,木村裕美さんという優れた翻訳者の手でわが国に紹介されたことの幸運を思わずには居られない(集英社文庫・上下2冊)。
小説の舞台となっているのは,凄惨な内戦の後,ヨーロッパ諸国との奇妙な力のバランスによってヨーロッパの大戦の直接の惨禍を免れたスペイン,バルセロナ。ある日、父に連れられて訪れた「忘れられた書物の墓場」で1冊の本と出会った少年が,まずはその『風の影』という本に魅惑され,その作者の足跡を探すうちに多くの,錯綜する謎につきあたり,またいつしかその作者と自分の運命が似た軌跡を描いていることに気付き,この一冊の本をめぐって,謎の作家カラックスと少年ダニエルとの過去と未来とが交差する――
多くの評者が「ロシア人形」のような,と言っているのはマトリョーシカのことだろう。入れ子細工のような,一つの謎は新たな謎を生み,それはそれでまた次の謎を引き寄せるといったような,ゴダードの小説とも似た作風だ。
こま切れの読書はまだ途中だが,このような作品に出会うと,早く全体を読んでしまいたいという気持ちと,それがあまり早く終わってしまうことが残念で,むしろゆっくりと,いつまでも読んでいたいような,アンビバレントな気持に捉えられる。

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まもなく夏休み

小学校が夏休みになったこの時期は,大学は前期末の定期試験で,「夏休みに遊ぶために,今の苦行に耐えよ」とばかりに,学生にとっては大きなヤマ場となっている。教師の場合はもう少し遅れて,その後の採点作業が大きな負担となるのだが,これは人によって様ざま──本当に,試験会場から事務室まで答案を持ち帰る間に採点が終わってしまうような教員も,実に半月以上も,単調な答案・レポートの採点に明け暮れることを余儀なくされる教員もいるのが実情だ。つまりは,科目の性格と受講生の数によって決まってくるわけで,仕方がないとは言え,「同じ賃金を貰っているのに....」と恨めしくなることも。
まあ,それでも,その後に夏休みがあるではないか,と言われるのだが,これがかなりの誤解を含む評なのだ。つまり,開講期間中が授業準備や教材作り,そして教室での精力を絞っての授業,学生の求めに応じての補講や答案の添削,果てはネットを通じての質問への対応に追われるようになった昨今では,継続的なテーマでの研究と思索,原稿執筆に当てられる時間は,ほぼ,夏の休暇時に限られており,この期間にいかに精力的に働くかが,決定的に重要となっている。ある意味では,開講期間中以上に忙しく,精神的には大きなストレスのかかる「休暇」なのだ。
懐かしいのは「むかしの平和」。7月の声を聞くと,教壇で先生が「暑いからもう授業は止めておこう」などと言い,9月の終わりに授業が再開されたかと思うと,すぐ秋になってしまったものだった。多分,正常なのは今の状態だろうが,この余裕のなくなった分だけ,わが国の大学教育は充実したのだろうか。

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T-n先生のこと

誰しもこんな時期があるのかもしれない。このところゆかりのある人の訃報を聞くことが続く。

先日,T君から聞かされたT-n先生の死という情報にも,特別の感慨があった。
もう30年近くも前に,学部の賓客として来訪中の先生を,最も若年の助教授として広島訪問にお供したことを皮切りに,留学中のモスクワで再会し,研究分野が異なるにもかかわらず,さまざまに便宜を図ってくれ,また郊外へのエクスカーションに誘ってくれたこと,大雪の一夜,家族ともどもお宅に招いていただいたこと,その際にご馳走になったコーカサス風のピラフ,奥さんと息子を交えての温かげな家庭の雰囲気のことなど,懐かしい多くの場面が思い出される。
そして連邦崩壊と脱社会主義化の激流の中,研究所の所長として,研究所の権威と財政を共にまもるための先生の悲壮な闘いぶりは,時たまに彼の地から流れてくる噂話の中でさまざまに聞かされたことだった。
90年代の終わりに名古屋大学で短時間の立ち話をして別れたのが,先生とお会いした最後になった。そのあと,2002年の秋に,大学間交流をめざしての協議のために先生が京都大学に立ち寄られた際には,当方は校務のために会いに行くことができなかったのだが,先生を応接した京都大学のO教授のゼミにたまたま娘が所属しており,彼女が僕に代わって挨拶することができた──先生は「こんなちっちゃな,赤ん坊の頃から知っている」と想い出を語り,懐かしがってくれたとのことだった.....

T-n先生,親愛なボリス・ニコラエヴィッチ! どうぞ安らかに。

あらためて思う。さまざまな人々との繋がりの中に人の生があるのだと,ネクロローグを書くということは,つまりは自分の生の一部に別れを告げているということなのだ,と。

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それでも季節は

 なかなか理解してくれない学生に事後強盗と居直り強盗との違いを説明していて,最後に気づかされたのは,相手が「居直り」の意味を知らないということだった。「それって,逆ギレのことですか?」って,君......

 気がつけば5月も終わりで,入梅間近かとなってしまった。4月と5月,本当に忙しかった。例年のことながら,授業準備と学生の指導で週の大半の時間をとられ,事務仕事その他に残りの時間をすべてあてても,結局,週末には不機嫌な気分だけが残るようなことの繰り返し。慢性的な不安や焦燥感がつきまとう。
 
 この間に,思いがけず恩師の奥さんが亡くなるということがあり,まさに動転した──そのひと月前には友人を伴ってお宅にお伺いし,世間話をしたばかりだったのに。
 もう遥か昔になったある日,学部4回生になったばかりの僕はT君と二人で,小さなケーキのはこを下げて,お宅にお邪魔し,歓待されたのだった。その日以来,さまざまな時期に,さまざまな状況で,奥さんと会う機会があったが,いつも穏やかに接していただいた。
 近年は慢性的に体の不調に悩まされておいでだったが,それも若い時分の病気の後遺症あるいは気分的なものとして,かかりつけの医師のケアを受けて対応しておいでだった。それが,隠れていた癌が急に活性化して僅か半月で命を奪うなど信じられるだろうか。しかも継続して医師の診察を受け,その管理下にあったというのに。
 言葉もない。残念だが,今はただ,ご冥福を祈ることしかできない。

 重苦しい気分の中の,品の悪い幕間喜劇。
 授業のために研究室を出ようとする間際に一本の電話。出てみると,「**テレビの『**ビアの泉』のアシスタント」なる女性からの質問。「著名なロシアの性犯罪者にスケベビッチ・オンナスキーという名前の人物が居るという情報は本当でしょうか」。何のつもりで僕の所へこんな質問が来るのか,まったく理解できない。が,「そんな話しは聞いたことがありませんね。だいたい,その人物に名が無いじゃないですか」と。
 それから,スケベビッチ・オンナスキーは父称と姓のつもりだろうが,名が無い,ということは,多分,ロシア人の名前のことなど知らない人間が勝手に作った「名前」だろうと説明をし,最後に,「あまり出来のよくない冗談でしょうね」,と言っておいた。「そうすると,嘘ですか。」「ガセですね。」
 あとでネットを検索してみると,しかし,この種のうわさ話は掃いて捨てるほどにある──ご苦労なことだ。電話をかけてきた番組も当分は「ネタ切れ」になることもなさそうだ。

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今年の桜を送る

 しつこく降る雨の中を,誘われて,白川沿いの桜を見ようと巽橋近くのお茶屋の2階へ。
 窓から西に向かって,この世のものとも思われぬ桜花の連なる光景を眺め,あでやかな着物姿の芸妓さんたちの酌を受けながら盃を口へ。人々が嘆声を上げる中,雨に打たれて花びらは散り,白川の川面に浮かんで運ばれて行く。京に桜の名所と名のつく場所は様々にあるが,この白川の夜桜に勝るものはないと,常々思ってきたが,このような場所から,このような角度で,見ることができようとは思ったこともなかった。将来にも,二度とあるだろうか。
 雨は止まず,花はいよいよに美しい。確実に,今年の桜はこれに止めを刺した。いくら眺めていても見飽きることはない。時間よ止まれ,と言うべきはこの一瞬ではなかったか。

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射水市民病院の事件

 昨日の夕刊で報道された射水市の「安楽死」事件について,今日の新聞各紙とテレビ・ニュースが争うように様々の報道をしている。この場合,やはり問題なのは末期段階での延命医療打切りについて患者自身の真摯な嘱託があったかどうか,患者が意思表示できなかった場合には,その肉親の「人間的な」申し出があったかどうかだろう。法的にはさまざまな手続きが要請されるにせよ,真に死期が切迫した状態の下では,それが唯一かつ最終的な条件だろう。今回の射水市民病院外科部長の対応が,その条件にかなったものだったかどうか──今後明らかにされるだろう事実経過にそくして,判断されなくてはならない。
 毎日新聞の記事では,末期医療について,延命治療中止を望む国民は7割を超え,医療関係者では8割に達した,という厚生労働省「終末期医療に関する調査等検討会」の03年の世論調査結果を紹介している。おそらくそのようなところが多くの人の実感だろう。とかく元気な人は,自身についても「余命いくばくもないのであれば,無理をして生かしてもらう必要はない」と考えていることが多いものだ。
 この問題には,しかし,もう一つの側面がある。それは高額に上る医療費の問題だ。末期のがん患者の延命に費やされる,基礎的な入院費用に加えての人工心肺装置の使用経費,抗がん剤その他の医薬品代,差額ベッド代等々,気の遠くなるほどの費用負担に誰もが耐えるわけではない。肉親であれば,しかし,生活費を削り高利の借金を重ねてでもそれに耐えねばならないのであろうか。とてもそうとは思われない。では,患者の費用負担の限度に応じて,末期医療の密度と期間に格差を設けるのか。おそらく,医療現場で実際にはそのような「死の不平等」は進行しているのだろうが,しかしそのことが正面から語られることはない。
 ここには関係者すべてが知らん振りを決め込んでいる欺瞞があり,そのことを抜きにした「安楽死」論議にはいささか冷笑的にならざるをえない。

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鷗外の「妄想」

 昨年末に,結局,Clieを諦めて,NOKIAのスマートフォン(6680)に乗り換えたのだが,これまた様々につつきまわして,日程管理ソフトやBook Readerをインストールしたりフォントを読みやすく変えたりして,それなりに安定した使用環境になっている。そこに,"青空文庫"からいくつかのファイルをダウンロードして,バスの中などで他に読むものが無いときにはそれを読んでいるのだが──
 昨日,偶然に目にとまった文章。とても,100年近くを隔てて聴かされた言葉とは思われなかった。

 「生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策(むち)うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪(あくせく)してゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上(しあ)げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後(うしろ)に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策(むち)うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇(ひま)がないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗(のぞ)いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭(むち)を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後(うしろ)にある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒(さ)まさう醒(さ)まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
 それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞台で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。」
                              森鷗外 「妄想」(1911年)

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世界の至るところで

 ニューヨークは記録的な大雪だという。思わず友人のTs,にメールを書く──どんな具合だ,と。
 たしかに世界は小さくなり,ニュースとメールとでその地表は簡単に覆い尽くされたかのようだ。世界中の多くの知人・友人たちと「繋がっている」という感覚は,われわれより前の世代には持ちようもなかっただろう。インターネットのもたらした最大の変化の一つが,僕にはそこにあるような気がする。
 しかし,とそれをさえぎる思考が声を上げることも事実だ。そう,そんなことはありえないのだ,複数の世界で同時に生きることなどは。街を歩き,行きかう人々を眺め,その空気を呼吸することは。

 そんなことはどうでもよい。僕になつかしく,時に焦燥感さえおぼえさせる一つのこと,それは,かつて僕が歩いた街も,僕の眺めた人々も,総じてあの街は,僕の存在しないことに気づきさえせずに,かの地にそのまま存在し続けているのだろうということだ。この引っかかるような感覚。あるいは,もしかしたら,僕は自分の何分の一かの存在をあそこに置き忘れてきたのかもしれない── 冬の日の影のように。

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『極刑』

 死刑問題を考える上で,究極の一冊──と言うふれ込みで,昨年末に全国の書店に並んだこの本は,スコット・トゥローの令名と岩波書店の「力」とによって,わが国の多くの読者をひきつけたようだ。
 2003年1月,米国イリノイ州のジョージ・ライアン知事は,無罪を理由に4名の死刑囚に恩赦を与え,残る死刑囚全員を一括で減刑し自由刑とした。全米のみならず世界中に衝撃を与えたこの決定に大きな影響を与えた「イリノイ州死刑諮問委員会」のメンバーの中にいたスコット・トゥローが,消極的なものではあれ死刑制度容認から死刑廃止の確信へと至る,思索と心の軌跡を率直に著したのが本署である。
 もう30年も前にわが国で紹介された『ハーバード・ロースクール』で彼の名を知り,『推定無罪』をはじめ彼の多くのリーガル・サスペンスを読んだ身としては,彼が死刑問題にどのような意見を述べるのか,興味がないはずはない。のみならず,翻訳者である指宿さんから直接,「この本を読んで勉強してください」とばかりに贈呈されたからには,きちんと読むのが礼儀だろう。
 この本を読んで,あらためて感じ入ったのは,イリノイ州をはじめとするアメリカ合衆国での死刑制度の運用の乱暴さだ。暴力的な捜査と「共犯者の自供」を基礎とする死刑判決の散在,そして何よりも,人種や民族を基礎とした差別・偏見の圧倒的な作用,情報操作とメディアを利用した政治的思惑の影響,等々,数え上げるときりのない阻害要因があげられる。こんなむちゃくちゃな世界だからこそ,一方では安易な死刑制度の濫用があり,他方では種々の証拠法則や抑制原理への熱中が見られるのだろう。大体,州の最高裁判所が確定した有罪判決を,選挙の成り行きを気にしながら州知事が「無罪」だと覆し,死刑囚を放免するようなやり方を,疑問だと思わない研究者やジャーナリストが信じられない。──強力な権限は逆にも使われうるのだ。

 結局,読む前と今とで,僕の死刑に関する考え方はほとんど変わっていない。
 死刑もまた,他の刑罰制度と同様,無用となる日が来るかもしれない。その日を,一般論としては,僕も待ち望んでいる。だが,今日の世界はこの刑罰制度を──もちろんすべての刑事法制がではないが──持ち,それに一定の機能を付与している,というのが事実だ。どのような「機能」をか,と問われれば,かなり考えた末に,「正義」の確証と言うべきかもしれない。
 つまり,こういうことだ。死刑も含め刑罰制度の正当化根拠は,刑事責任それ自体の中にあり,刑罰の軽重は責任の大小に対応している。そしてそれは,それ自体として犯罪と刑罰との等価交換の思想の反映なのだ。もちろん,実際の刑罰は「目には目,歯には歯」といったタリオの制度とはほど遠く,あらゆる犯罪を人の自由と財産の量,例外的に生命,によって贖わせ,また同時に本人の将来の再犯を防ぐための教育という考慮を加えている。その量はその時代と社会の条件によって変容させられた基準に沿って計られる。それでも,刑罰の量を計る基準の最重要のものは彼の犯罪の軽重,つまりは刑事責任の量だということは否定できないだろう。そして,そのような「刑事責任に対応する刑罰」こそが,市民の共感を呼び,少なくとも納得を得るのだ。この等価交換が破られるなら,そのときは,法と正義,政治体制と司法制度に対する信頼は大きく傷つくに相違ない。
 それでも,刑罰制度としての死刑は異常な刑罰だ,という意見が唱えられる。とり返しがつかない,というのだ。本当にそうだろうか──つまり,他の刑罰とくに自由刑とそれほど違うのだろうか。そうは思わない。人の生命を奪うことの重大性はそれなりに理解しているつもりだが,同時に,人の生命は結局は時間だと思う。たかだか数十年をしか生きえない人間にとって,その人生の10年をあるいは20年を奪うということは,その人の生命の何分の一かを奪うことに等しい。であれば,自由刑と生命刑とは連続的なものであり,その時代と社会に一般的な価値意識によって加工された秤によって,妥当と考えられた「等価」において刑事責任と交換されるのだ。
 であれば,刑罰制度一般を廃止せよと言うのならいざ知らず,死刑制度のみを廃止せよという主張を理解することは困難だと言わねばならない。
 
 本当は,こんなことは何も書きたくなかったのだが,指宿さんに貰った本の感想を書いているうちに,つい,言葉がすぎてしまった。
 怠慢だ,となじられそうだが,僕はまだ死刑論についての自分の考えをきちんとまとめきっていない(この世界には,死刑の廃止問題よりも重要な多くのことが存在するのだ)。だから,上に書いたのは,さしあたっての思いつき,感想に過ぎない。
 そのうち,こんな逃げ口上は通用しなくなるのだろう,とはわかっているのだが──

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役者という仕事

 今年の前進座初春公演は,井上ひさしの『たいこどんどん』。品川遊郭にくり出した若旦那と幇間が,女郎の取り合いから薩摩侍に切られそうになり,逃げようと海に飛び込んで溺れそうなところを助けられたのが,北回りの千石船。風に押されて向かうは東北,そしてはじまる凹凸コンビの珍道中── 15年ほど前に中村梅之助の桃八で上演したことがあるそうだが,僕にとっては,もちろん初めて観る演目だった。今回は嵐圭史の清之助と中村梅雀の桃八だが,この梅雀の桃八は秀逸だった。井上ひさしの連発する駄洒落,掛け言葉,なぞなぞその他の,ときに猥雑な「ことばあそび」を巧みにこなし,踊り,富本節をうなり,軽妙におだてを言うといった幇間芸は,この人ならではの観があった。梅之助では重くなりすぎたのではなかっただろうか。もちろん,想像するだけだが。
 ところが,懇親会の場に現れた梅雀は大きなマスクに熱っぽい顔を隠し,A型インフルエンザに罹って,注射と座薬とで熱を下げながらの舞台だと打ち明けた。翌日朝の公演もあること,挨拶だけで帰ってもらったが,心配なことだ。座員の中には,彼以外にも何人かの患者がおり,次々に寝込み,代役を立てねばならない状態が続いているとのこと。
 それにしても,役者というのは大変なものだ。40度の熱があり,肩で息をしていても,舞台に上がればそんな気配は微塵も感じさせないのだから。しかし,他方では,それも当然かもしれない。主役に代役は居らず,もし彼が舞台に立たないとなれば公演は打ち切り,あと20回近くの公演収入が消えてしまうだろう。単純に計算してみても,南座の座席数が1,086席だから,一回の公演で1,000万円近い売り上げがあり,その何割が劇団側に回るのかは知らないが,いずれにしてもその収益で座と多数の座員の存続と生活をまかなっているのだから。「がんばれ,梅雀」と思わずつぶやいてしまう。

 最近の土曜夜の街の雰囲気はこんなものなのだろう。三条河原町付近も,生活感のない若者たちが,携帯電話を片手に連れ立って歩いているだけ。妻と立ち寄ったバーのマスターに新年の挨拶をし,先斗町を南に抜けて,四条通りでタクシーをひろい,帰宅。

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Eのこと(続き)

 10年を隔てて再会したEは,こころもち左の足を引きずるような気配があったほかは,外見上はほとんど変わっていなかった。だが,当時のソビエト社会全体に吹き荒れた嵐の中で,何の変化もなかったはずはない──言葉の端々に,疲れ,いらだち,おびえ,といったものがにじみ出してくるような印象を漂わせていた。

 91年のモスクワ! もはやこの地上に存在しないあの世界を,そこに暮らしていた人々の生活と意識を,どう表現したらよいのだろうか。目の前のすべてが,毎日,少しずつ縮み,徐々にばらばらになっていくような.....  しかしさしあたりの所を一言で言ってしまえば,「静かな混乱」とでもいうべき落ち着きの悪さが支配していた。
  もう一人の知人,若いBはすでに「国家と法」研究所を辞めており,この時には流行の貿易商となっていた。それも,若い日本人女性が実家の支援で掻き集めた「円」を資本にし,自分や奥さん(ターニャ,どうしているのだろう)の兄弟を従業員にして,日本の雑貨を輸入するという,危なっかしい商法の。 まだ40歳そこそこなのに,不健康に腹が出はじめた彼の姿に,かつて,研究所の片隅で談笑した頃の彼の若々しい笑顔や,一緒にバーニャ(公衆サウナ)に出かけたときの会話とビールのジョッキ,スポーツ団体の随員として日本にやってきたときの三宮駅での短時間の出会いなどを思い出すことも難しかった。一体何があったのだろうか,といぶかしんだものだった。後になって,95年に彼が死んだということを聞いた後になって,彼の周囲で起きたさまざまの事を知る機会があったが,もう,その内容について語り合うこともできない。
  彼のことを考えると,今でも,涙が出そうになる。

  Eとの交際が決定的に途切れたのは,例のクーデター騒ぎのあったときだった。
  あの日,早朝に別の知人からクーデターが起きたらしいとの情報があって,テレビも沈黙している中,Eに電話したのだった。彼はまだ知らずに居て,「おっ」というような声をだしたあと絶句し,「調べてみて電話します」,といったきり,事件の決着するまで何の連絡もなかった。その後も,相当に長い間,彼からの連絡はなかった。
  たしかに,彼にとってこれは同情すべき事態なのだろうとは思う──その中に生を受け,長くにわたってその大義を奉じてきた体制の崩壊に立ち会っているのだから。しかし,Bが繰り返し言ったように,このような事態はその現場に滞在中の外国人にとっては,最高度に危うい,何が起きても不思議ではない瞬間の連続する危機そのものなのだ。せめて,何が起こっているかの情報の断片なりと伝えてくれてもよいではないか。妻も,事情をよく理解できぬ子供たちも,不安げにこちらを見て,判断を求めている── 
  考えてみれば,むしろ不思議だ。あのような状況の下で,よくパニックに陥らなかったものだと思う。それどころか,第一日の午前から,街の様子を見るためにクレムリン周辺やプーシキン広場などに出かけたのだから。しかし,Eへの不信の念はこのときに固まり,その後長らく残った。
  そのEも死んだ。

 そうか,あの日からもう14年も経ったのか。

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Eのこと

  Eが死んだ,と聞いても,さしあたって思いつくのは,どうでもよい問いかけだけ。以前から悪かった腎臓の疾患でか?あるいは,事故でか? このニュースを伝えてくれたK君にしたところで,そんなことはわかりはしない──最近に東京に現れた極東大学のM某が伝えた情報だという。
  不思議な感覚だ。別段,惜しいとは思わない,とくに学問的な分野では。むしろ,今日まで彼のような「学者」が存在しえたことの方が不思議というべきだろう。しかし,これで確実に一つの時代が終わったという感覚はある,個人的にも。
  ソビエト時代の「**研究所研究員」には,明らかに,3種類の人間が居た。学術の分野できちんとした業績を上げている,紛れもない研究者である「本物」と,学問的貢献は皆無あるいは極小でありつつ,他の何らかの理由によって研究所所員の肩書きを与えられている人々,そして,そのいずれでもない,何の理由でこの研究所におり,研究員として給与を受け取っているのか,まったく理解不能な人たち。E.は決して無能だというのではないし,時折,彼の署名入りの論文を目にすることもあった。だが,彼の周囲に漂っている何かが,彼は上の第2のカテゴリーに属していると示していた。
  最初に会ったのは81年の5月,当時僕が家族とともに滞在していたグープキナ通りのアパートに現れて,当時日本で刊行されていた『マルクス主義法学講座』の合評会を開きたいので,出席してくれとのことだった。趣旨もよくわからないままに,指定されたK君の部屋(同時期にアカデミー・ホテルに滞在中)に行くと,われわれの他には2・3名の日本研究者が来ており,その中にはパノフ(後の駐日大使)も居たように記憶する。かのラトゥイシェフの学び子たちの懇話会といった雰囲気だった。
  Eは当時,アカデミーの極東研究所に所属していて(そのように言っていた),ロシア人としては数少ない日本法の「研究者」だった。久しぶりにモスクワに,K君とか僕とか,若い日本人法学研究者が留学することになって,自分が一肌脱がねばと思ったのだろう,色々と気を使ってくれた。少し前に,初恋の相手だったエレーナさんと再婚した(夫を喪った彼女にめぐりあった彼は妻と別れて,彼女に求婚したのだと聞いた)とかで,幸せそうだった。
  彼については,むしろ帰国後に,それまで知らなかったさまざまの事実を,噂とともに聞くことになる。極東の国境警備隊での勤務から出発して,いくつかの秘密工作にかかわり,当時はKGBの大佐だったというのだ。軍服姿のEを見たという先生もいた。

  彼とは91年に,再度のモスクワ暮らしの中で,そしてソビエト時代の最後の現場で,再会する── 

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いやな予感

 このところ世間を騒がせている一級建築士による構造計算書の偽造問題だが,問題はまさに「構造」的な様相を露にしつつあり,その全容が明らかになり,被害者が最低限度の救済を得るまでには,なお相当の時間を要するだろう。
 だが,ここ数日,僕には別の「いやな予感」が付きまとっている。この建築士,殺されるのではないか。
 頭のなかをよぎるのは,豊田商事の永野会長の刺殺事件だ。新聞・テレビの記者やカメラマンが詰めかけるその面前で,平然と,窓を破って二人の男が会長のアパートの一室に押し入り,悲鳴が聞こえ,やがて血の付いた凶器をぶら下げて刺殺者が戻ってくると,記者たちが口々に質問する──殺したんですか,と。
 明らかに,永野会長が死ぬことに利益を持つ何者か(さぞかし多かったことだろう)が彼らを雇い,殺させたのだ。
 同じことが,建築士に起こらないだろうか。彼が死んでしまえば,一切を彼に押し付けて知らぬ存ぜぬを決め込めると考えている者が居ないだろうか。この間のニュース報道,関係者の国会喚問の光景などを見ていると,問題の建築士の「怯え」が伝わってくる。
 むしろ,逮捕されて警察に護ってもらいたいと,彼は願っているのではないだろうか。

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「犯罪学はペダントの学問」?

  犯罪のような複雑で興味津々の現象については,それこそあらゆる分野からの研究あるいは「突っつき」が可能だろうことは当然予想できる。そして,多くの場合,思いもかけない視角からの検討が提示されて,斬新な結論とともに,これまでの自分の無知の証拠をも突きつけられ,新しい領域への探索に誘われるのだ。だが,それはあくまでも「多くの場合」であって,そうでない,とんでもない迷論を持ち込まれることもないではない。だが,もっと警戒せねばならないのは,斬新な切り口の研究成果に大きな落とし穴が隠れているようなばあいだろう。
  例によって通勤の途中に読んだ長谷川眞理子「戦後日本社会における犯罪」(橘木編『リスク社会を生きる』岩波2004の第7章)は面白かった。進化生物学・行動生態学を専門とする生物学者である筆者は,ここで,「人間の個体間にある,殺人にまでいたるような利害の対立と葛藤とはどのようなものであるのか,その葛藤に対処するにあたって,殺人のようなリスクの大きい選択肢をとる人間は,どのような状況におかれているのか,といった観点から,戦後日本の殺人を分析」してみせるのである。そこで示された結論自体は,従来すでに指摘されていたことも多い(第二次世界大戦後のわが国の,とりわけ若年層における,世界にも例を見ない「殺人率」の低下,そして異常なまでのその低さ)し,また,戦後日本のジニ係数の推移と殺人事犯検挙人員のそれとの対比などには目を引き付けられたのだが,彼女の着想と結論の検証の一般的基準として用意されているのが,ほとんど Daly & Wilsonの1988年の本(彼女自身の翻訳で99年に邦訳が出ている─『人が人を殺すとき』─)だけであることに気づくと,ちょっと心配になってくる。
 とくに問題は,殺人の種類を 1>普通殺人,2>尊属殺,3>嬰児殺,4>自殺関与 の4種類に分け(なんと大胆な),もちろん最大部分は「普通殺人」なのだが,その「大部分は血縁関係にない個人どうしの殺人である」と断じ,以下の立論の前提とされていることである。周知のとおり,この前提は誤っている。警察白書その他多くの資料によって示されているとおり,殺人の加害者・被害者の関係で最大のものは親族関係であり,例年,40%強が親族間の殺人である。もちろん,親族=血縁関係ではなく,統計についてはさらにその内容を検討しなくてはならないが,それでもこの「親族」のかなりは「血縁関係」のある者となるだろうと想定される。このことは常識だと思っていたのだが,長谷川は「遺伝子を共有する個体どうしの間には血縁淘汰が働くので,そのような個人間で殺人が起こることはまれだと予測される」とし,「実際,これまでの研究でも,血縁者間の殺人は,非血縁者どうしの殺人よりも起こる確率が非常に低いことが示されている」と締めくくる。「これまでの研究」として根拠とされているのは,ここでも『人が人を殺すとき』だけである。同じような,(僕に言わせれば)根拠の薄弱な断定はそのあともさまざまに続くのだが,いつか,ヒマができたら,きちんと読んでみよう。今は忙しい。

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多くの心優しき男たちが

 「わたしはボトルを手にして自分の寝室に向かった。服を脱いでパンツ一枚になり,ベッドに入った。すべてが調和とはほど遠い。人はそれが何であれ,目の前のものにがむしゃらにしがみつく。共産主義,健康食品,禅,サーフィン,バレエ,催眠術,グループ・エンカウンター,乱交パーティー,自転車乗り,ハーブ,カトリック教,ウエイト・リフティング,旅行,蟄居,菜食主義,インド,絵画,創作,彫刻,作曲,指揮,バックパッキング,ヨガ,性交,ギャンブル,酒,盛り場漫歩,フローズン・ヨーグルト,ベートーベン,バッハ,仏陀,キリスト,超越瞑想法,ヘロイン,人参ジュース,自殺,手作りのスーツ,ジェット旅行,ニューヨーク・シティ。そしてすべてはばらばらになって消え去ってしまう。人は死を待つ間,何かすることを見つけなければならない。選べるというのはなかなかいいことだと思う。わたしも自分が何をしたいのか選んだ。ウオッカの五分の一ガロン壜をつかんでそのままラッパ飲みした。ロシア人だってわかっていたのだ。」
 ──今朝,通勤のバスの中で目に飛び込んできたブコウスキーの言葉。

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Clie を諦めるの弁

 入力の不便さにもかかわらず,180gという限界的な重さにもかかわらず,これまで2年半使ってきた Sony の Clie TG-50 だが,そろそろ諦めざるをえないという気がしてきた。
 最大の原因は Sony のPDA部門からの撤退という背信的な決定だが,このところの Sony 本体の不振からすれば仕方がないことかもしれない。許せないのは,現在の利用者に対する配慮の乏しさだ。利用者サービスや修理受付といった窓口があっさりと閉鎖されてしまい,関連するユーザーグループの活動も尻すぼみとあっては,先行きも不安というものだ。参ったことには,手書き入力 Decuma の試用もできなかった。
 しかし,この髙機能──惜しいなぁ。妻にも冷やかされるだろうし。どうしようか。

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殺人請け負いサイト

 自殺サイトの次は「殺人請け負いサイト」の話題で,世間はにぎわっている。
 東京消防局の救急隊員の女性が,自分の不倫相手の妻を殺してほしいと,殺人請け負いサイトにコンタクトを取り,そこで紹介された仕事人に,あれやこれやの名目で1500万円を超す金を支払わされた挙句,一向に殺人が実行されないところから不審を抱き,騙されているのではないかと警察に相談したところから発覚した事件。
 事件の内容がいかにも興味を引くもので,新聞,ワイドショー,次には週刊誌が飛びつくはずだ。
 一つの論調は,「だからインターネットは怖い,何でもある」というもの。しかし,これはばかげている──
 むしろcriminologとして興味があるのは,この犯罪の本質はどこにあるのだろうか,という点だ。
 この場合,誰もが思うように,ことの実態は荒唐無稽な詐欺で,世間知らずの依頼者がそれに引っかかっただけのことなのではないだろうか。そうだとすると,暴力行為等処罰法3条の罪は成立しないのではないだろうか──真実の「約束」とか「供与」などは無く,欺く行為だけがあって,「依頼者」は単に被害者に過ぎないのではないか。ちょうど,詐欺賭博の場合に,詐欺罪だけが成立するのと同じように。
 警視庁は女性の身柄を拘束しているようだが,起訴は難しいと思うのだが。

 以上は誰かが書けばよいことで,ここに書かなくてはならないことではない。だが,あまりにも当たり前すぎる仕事の連続で,このままずるずると「開店休業」状態にしてはいけない,と。

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木屋町のバーでの会話

 「 ──さん,あなたは人生の意味をどう考えていますか。」 いい加減アルコールの回った頭の中で,V.さんの言葉がはじけた。顔をあげると,面長な彼が静かにこちらをのぞき込んでいる。真面目な問いかけなのだ。
 いつもながらに,僕の頭の中では二重の回路があわただしく作動し始める。「あなたも知っているとおり,学生時代の僕は── 」と説明し始めて,そこで止まってしまった。考えをまとめ,それを外国語に直して,という二段階の,しかしここで詰まってしまったのは第一のそれだ。
 今の僕自身にとって,本当のところ何が支えとなっているのだろうか。学生時代に,あるいは研究者となった当初に,思い描いていたような将来があったはずだが,それが実現しなかったからといって誰を責められようか。すでに中堅を通り越した現在の自分にとって,何らかの意味のある毎日がめぐっているのだろうか。そして,夢見ることが許されるとして,どのような未来を(あるいは終末を)思い描くことができるだろうか。
 記憶に残る戦没学生の詩に,「人はのぞみを喪っても生きつづけていくのだ」というフレーズがあったと,脈絡もなく思い出す。
 だが言うまい。V.さんは日本での雇用契約延長にかけた望みを絶たれて,近く,妻子とともにアメリカに渡るのだ。今はただ,ウオトカの最後のグラスを掲げ,どうか幸せに,そしていつかまた会いましょう,と。

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もう一つ,気になるのは

 自殺サイト殺人事件にかかわって,刑法研究者としては,もう一つ,気になることがある。

 よく知られているように,追死する意思がないのにあるかに装って,被害者の同意を得て殺した「偽装心中」の事例について,わが国の裁判所はこれを刑法202条(同意殺人罪)でなく199条(殺人罪)にあたるとするのだが,団藤・大塚といった大家がこれに従う態度をとることを不当だと非難し,この場合,死ぬことについての被害者の同意には何ら欠けるところがない(精神薄弱者を,一度死んでもまた生き返れると欺き,同意させて殺した場合とは異なる)のだから,当然に202条の問題だとするのが,平野博士以降の有力説であり,近年はむしろ通説となっている。
 しかし,今回のような事件において,たとえ犯罪者の側には自殺の意思は毛頭なく,むしろ快楽のために殺害しようとしているときであっても,被害者には自殺意思があった(と思われる)ことを根拠に,やはり202条を適用すべきだという主張は可能だろうか。──直感的には,かなりまずいような気がする。が,かといってこれを199条とすると,判例の立場に後戻りしてしまうことに道を開くような。
 ちょっと考えてみよう。

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自殺サイト殺人

 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件などというものを,誰が想像できただろうか。
 大阪府河内長野市ですでに3人の犠牲者が明らかとなっている前上某の犯罪は,さまざまな意味でわれわれの意表をつくものだった。この事件はわが国の犯罪史に残ることとなるだろう──おそらくは,この種の多様な犯罪の最初のケースとして。
 彼にとって,他人が窒息の恐怖と苦悶にもだえる姿は,何よりも性的な興奮をもたらすという。「男でも女でも,苦しむ顔を見るのがたまらない」,と。
 報道されるところでは,殺害に通じる衝動は中学生時代からとみられ,大阪府警の調べにも「小説の挿絵に,子供が口を押さえられる様子が描かれているのを見て興奮した」と供述。自作のホームページに主人公の自分が他人を窒息させる小説を書き,ネットで入手したグロテスクな写真を掲載していた。また,1995年から2002年にかけては,通行人の口をふさいだとして傷害容疑で3回逮捕されており,実刑判決を受けたこともあった,という。
 この経験に学んだということだろうか,効率の悪い通行人よりは,無防備で都合のよい被害者を求めて,自殺志願者に目をつけた彼が,インターネットの自殺サイトに網を張り始めたのは昨年10月。約2カ月後に知り合った最初の被害者に「一緒に練炭自殺をしませんか」と持ちかけ,「お願いします」と応じられると,練炭や七輪を用意してみせるなど,信用を得るためにさまざまな行動をとり,最終的に殺害に成功している。
 それにしても,「どうせ死ぬんやから夕食を抜いてください」「めばりテープを張る準備がしにくくなるのでつめを切っておいてください」といった,彼が被害者に送ったメールの不気味さは格別だ── まるで『注文の多い料理店』ではないか。

 この種の事件が起きた際にいつも思うことは,人間というものの不思議さと,そのような存在として生かされていることの悲しみだ。だがそれは所詮は個人の感想で,社会は犯罪者の責任を追求し,同種の犯罪の再発を防ぐための確実な措置を声高に求める。そしてそれは「正しい」。
 しかし,問題は,どのようにしてそれらは可能か,ということだ。

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成績評価ということ

夏休みを控えて,現在は定期試験の季節とあって,ゼミの掲示板にも試験がらみの情報が多く登場する。
その中に,目を引くものがあった:
  家族法の**先生はおっしゃいました。
  「ゼミの授業を落とすようなやつは死んでしまえばいいと思います」
これを書き込んだ学生は素直に,だからせめて所属ゼミの先生の担当している科目では頑張って高い評価を獲得しようと呼びかけているのだが(なんてけなげな!),こちらの連想は別の方向へ行く。これって,逆ではないのか,と。むしろ:
  ###ゼミの*****君は言いました。
 「ゼミの学生を落とすようなやつは死んでしまえばいいと思います」
ではないのか。

先日,いくつかの法科大学院で自己評価の報告が公表されていた中に,ある科目で「受講者=受験者80数名,試験合格者 0名」というのを見たときにも感じたが,以前,何人かの同僚も,数百名が受験した定期試験で70数パーセントが不合格だった,とむしろ誇らしげだったことに,強い違和感をおぼえたことだった。この人たちにとって,教育というのはいったい何なのだろうか。いかに自分の講義が高水準であり,満足な答案を書くことができる学生などほとんどいないのだ,ということを確認するため(だけ)に教壇に立っているのだろうか。
理解に苦しむ,と言うほかない。
自分の担当する科目を受講する多くの学生に,そのすべてに,何一つ教えられなかったということではないか。むしろ恥じ入って深刻に考え込み,教育の内容について,方法について,そして評価のあり方について,改善の方途を探るべきなのだ。

まして,自分の指導するゼミに属し,自分の専門とする分野に興味と関心を持つ学生ではないか。その学生たちに,一般の学生たちにも増して十分な知識を与え,問題意識を発展させ,意欲的な課題を与えないでおいて,ただ「試験結果は不合格」だった──などということがどうして平静にできるのだろうか。再度,理解に苦しむ,と言うほかない。
理解できない僕の方が間違っているのだろうか。

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『コカイン・ナイト』

祇園祭りの宵山から大文字の送り火まで──これが京都の夏の中の夏だ。いよいよそれに差し掛かって,このところ毎日暑い。
ここしばらく,体調その他諸々でこのブログに向かう気力を失っていたのだが,このままではずるずると夏休みに入ってしまいそうなので。
通勤電車+バスの中での読書の,最近の収穫はJ.G.バラードの『コカイン・ナイト』。翻訳がすでに2001年末に新潮社から出ていたものが,最近,文庫本として発売された。『結晶世界』などのバラードのSFは読んだことがあるが,それもずいぶん昔のことで,正直,彼のこの系統の作品にはなじみがなかった。書店の棚に見つけて,さして期待もせずに読み始めたのだが,これは予期しない発見だった。
この本の内容は,南欧スペインの高級保養地を舞台としたミステリー仕立てとなっている。イギリス人の旅行作家チャールズ・プレンティスが,この地に足を踏み入れ,重大な放火事件の犯行を自白した弟のことばを信じずに,真犯人さがしを試みることから物語りは始まる。弟を知る人の全てが,心から弟の無実を信じているらしいことがわかるが,それでも,弟の自白をそのままそっとして,イギリスに帰るように勧める。やがて,チャールズには,この地上の天国を思わせるような,主にイギリスの退職したエリート層のために作られた高級住宅地に,巧妙に組織された悪徳のネットワークが存在することがわかってくる──
弟が責任者を勤めていた「クラブ・ナウティコ」を中心に,スポーツクラブや麻薬,売春ににぎわう保養地エストレージャ・デ・マルとそれに隣接する閑静な高級住宅地域・引退したブルジョアが過ごす集合住宅地域レジデンシア・コスタソルとの対蹠的な図式が巧妙だ。後者こそは,一つのありうべき未来を象徴する場所に他ならない。張り巡らされた監視カメラと万全のセキュリティシステムによって過剰なまでに保護された,この閉鎖社会では,まだそれほどの高齢でもないのに,事実上社会の全てから引退した住民たちが生きる気力を失い,音を消した衛星放送の画面をぼんやりと眺めるだけの「仮死」状態に陥ってしまったような世界,そこには子供の姿もまったく見当たらない。
これは異常であり,断じて拒絶されるべきだ,人々をそこから取り返し,世界に参加させなくてはならない,とチャールズにボビー・クロフォードが言う。この,見る者すべてを魅せずにはおかないスポーツマンこそ,類まれな弁舌の才と行動力に溢れた,アジテーターであり,また実際の指揮者・組織者なのだ。彼は言う,犯罪こそがそんなまどろむ共同体を活気づける「中枢神経刺激剤」だ,と。

近い未来のわれわれの生活が,ここで描写されるような満ち足りたものになるとは信じられないが,それでも,過度の監視と配慮の下に組み立てられた安全が社会の活力を奪ってしまうというメッセージは明瞭に響く。言い換えれば,適度の危険と犯罪への不安は,健康な社会に必須の同伴者なのかもしれない。
いくつかの書評に斜めに目を通したが,多くの評者が,ここに描かれた反ユートピアの予言的なリアリティと,その破壊を実践しようとする「カリスマ」に言及している。言われるように,弟フランクの自白をもたらした彼の罪の意識の正確な分析も興味あるテーマだろう。
だが,不思議と一つのことを指摘した書評はなかった。読むにしたがって,クロフォードとスタヴローギンとが,ときに重なり合い,ときに対話しているかのような感覚に,たびたび捉えられたのだが。

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性犯罪者の前歴情報の公開制度

 昨年末の奈良での女児誘拐殺人事件を契機として,わが国でもメーガン法のようなものを作るべきだとの主張が聞かれることが多いが,この点について,藤本哲也教授が積極的な検討の必要性を指摘し(『罪と罰』42巻2号),また諸外国の制度を紹介している(『警察学論集』58巻5号)。難しい問題だが,僕はこの種の制度には否定的だ──性犯罪だけを特別扱いする理由はなく,いったんこの種の制度ができれば,殺人,詐欺,窃盗と,全ての犯罪について前歴情報を公開せよということになることは必至だ。「隣りは何をする人ぞ」ならぬ「隣りは何をした人ぞ」と,疑心暗鬼に駆られて隣人たちの旧悪を暴かずには居れなくなるだろう。そして,一度何らかの犯罪にかかわった人間は決定的なスティグマを負わせられ,社会的には死を宣告されたも同然のことになるだろう。コンピュータ,インターネット,そして「住基ネット」。どこへ逃げていくこともできない。
 ここにおいて,刑罰は犯罪問題の処理という,きわめて重要な機能を失い,極端な執念深さで罪人を追い詰める報復手段となるだろう。
 そのことに比べれば,かつての優生保護法が定めていた「優生手術(断種)」や外国に適用例のある「ホルモン治療」の処置の方がはるかに「人道的」なのではないだろうか。

 学生から,次のような質問があった。
 「性犯罪者についての情報開示制度は,最近それと同時に言われている刑務所や更正施設のプログラムを根本から見直そうという事とは,相反するものだと思うんですが,どうなんでしょうか? 仮に在監中の性犯罪者に更正の目途が立ったとして,社会に戻ったときに待っているのが開示制度による村八分的な状態ってゆうのは.... 更正プログラム見直しの意味が無くなるんじゃないかと。」
 また,別の学生の意見:
 「もともと,ニュースの実名報道ですら(未成年・成年を問わず)議論の余地が在るのに,出所後の実名住所等の公表・近隣への告知の更生に悪影響を及ぼすおそれがより高いことは言うまでもないでしょうね・・・・・ 地域住民との関係も,うまくいくはずがないと思います。本当に矯正されてきたのかも知れない人が,もしかしたら,捨て鉢になってしまうかも知れません。この問題についての議論は平行線を辿っているのだと思います。始めから,情報開示派の人にとって性犯罪者の更生ということは考慮の外,二の次,三の次なのでしょう。」 「難しい問題ですね,ただ,更生して出てきた(であろう)者に対し吊るし上げにも似た行為はしたくないし,かといって,高らかに矯正・更生の原理を謳い,(妻を屍姦され,幼い子供を惨殺された)遺族の夫を罵倒するようなこともしたくはない。」

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『民衆から見た罪と罰』

 興味深い本が登場した──このたび花伝社より刊行された村井敏邦教授の『民衆から見た罪と罰』だ。
 元になっているのは,教授が1998年から2000年にかけて法学生向けの雑誌『法学セミナー』に連載した文章だが,残念ながらその当時には気がつかず,今回初めて全体を通して読むことができた。
 読んでの感想は,単に「興味深い」ばかりでなく,驚くばかりに充実した内容の好著だというものだ。日本の古典からドストエフスキー,聖書に至るまでの広大な分野にその素材を求め,興味深い事実とその分析を示して,民衆(非法律家)の目から見た犯罪と刑罰,刑事裁判,司法制度などを浮かび上がらせている。
 村井教授といえば,学界その他で活躍しておいでだし,連載の頃はたしか刑法学会の理事長ではなかったか。その忙しいさ中に,よくこれほどに多くの文学作品(とくにわが国の古典)に目を通されたものと感心する(もちろん,にわか仕込みでなく,普段からの素養だろうが,それにしても文章化する際には元の文学作品などを読み返して確認されただろう)。到底,われわれにはまねのできない作業だ。
 学生諸君にも推薦したいと思っているが,それ以前に,ここ数日の通勤の往き返り,僕自身が楽しく読ませてもらった。

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4月は苛酷な月

 昔,小学校の校長先生が3学期の冒頭の朝礼で「1月は行く,2月は逃げる,3月は去る」という言葉を引きながら,寸暇を惜しんで勉強するようにと訓示を垂れていたことを覚えているが,その伝で行けば「4月は死ぬ」とでもいうのだろうか── なんとも慌しく,さまざまな雑事に忙殺される中で4月も終わる。落ち着いて桜を見ることもなかった。
 法科大学院の学生に呆れられてしまった持ちコマの多さはさておき,新しい科目に緊張を強いられている。実務家の教員と一緒に実体法と訴訟法との融合問題について演習を指導するのだが,準備の量は並大抵ではない(学生もそうだが)。まいったまいった,といったところ。
 それにしても,先のトレンドマイクロ事件に驚いている間にJRのとんでもない事件が起こり,すべて人間のなすことに誤りの起きないはずはないということが再確認された気がする。長い連結だと1,000人を超える乗客を乗せた列車が,一人の運転士の判断と技能に委ねられ切っているということは,はたして尋常なことなのだろうか。生身の人間であればそこに僅かでも誤りの可能性は払拭できず,その安全策として複数の人間を運転席に配置し,あるいは些細な異常でも感知して列車を停止させたり減速させる装置が配されたりするのだろう。今回の場合はどうだったのだろうか。
 失われた方々の人柄を,想い出を語り,事故を起こしたJRの対応をなじる人々の姿がこの3日間絶え間なくテレビで流されている。残酷なことだ。

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性犯罪者の更生

  今の時期,雨が続いた後の晴れた風の強い日,というのは花粉症にとっては最悪のコンディションだ。鼻をかみすぎて鼻の下は赤くただれ,目は腫れぼったい涙目で── 考え事など全くできない。

  先日,性犯罪者の更生というのは難しい問題だ,出来上がった人格の改造などどうして可能だろうか,と書いたら,学生から反論を食らってしまった。彼の言うのは,犯罪者の「更生プログラムは元性犯罪者の再犯を防ぐことが目的であって、彼らの性的嗜好自体を変える必要はない」のではないか,であれば,そのことは可能なのではないか、ということだ。いいところをついている。ついでに,彼は「そういった目的の更生プログラムや治療は許されない」とも主張する。それは本来的な人間存在のあり様に手をつけようとするものだから。
  上のような意見には喜んで賛成するべきだろう(人格の尊厳,絶対の自由よ讃えられてあれ)。
  しかし問題は,この種の犯罪者たちの場合,彼らの犯罪とその性的嗜好とがあまりに強く結びついていて,後者に手をつけずに前者の改造が可能か,という辺りにあるのではないだろうか。たしかに,いわゆる「ロリコン」や「×××フェチ」の男性は掃いて捨てるほどいて(その手の読者をターゲットにした雑誌やビデオといった商品の存在でも明らか),しかしその大部分は実際には犯罪には出ない。であれば,性犯罪者をその程度にまで更生させればよいのだ,と言うのだろう。しかし,そこに存在するのは「程度」ではなく「性質」なのではないだろうか── つまり,標準からは外れた性的嗜好を持ってはいても,なお「境界内にとどまる」性倒錯者と,その嗜好上必然的に「犯罪に至る」性倒錯者とがあり,両者はもともと違った性質のものなのではないだろうか。
  「境界内にとどまる」性倒錯者は,犯罪的な妄想を膨らませることはあっても,めったにそれを実行に移さないのであり,だからこそ,彼らを常に性犯罪者予備軍と見る必要もないのだが,「犯罪に至る」性倒錯者の場合は,そのような想像力自体を欠き,犯罪的行動によって直接に自分の性欲を満足させることをめざすのだ。そのような嗜好であり,倒錯であるのだ,と考えるべきなのではないだろうか。であれば,後者の「更生」はいかにして可能なのだろうか。

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ガロア──神々の愛でし人

 今朝の毎日新聞「余録」欄を読んで驚いた。ここ。東京の中学生ら6人が一定のルールを決めて殴り合いをしたことが決闘罪にあたるとして検挙されたというニュースに関連して,「決闘罪ニ関スル件」について触れたコラムだ。
 驚いたのはわが国での決闘罪の運用についてのくだりではない。決闘罪が実務に時おり登場することは,"業界"では常識だし,過去の判例集を検索してみても相当数がヒットする。
 そうではなくて,このコラムで僕の驚いたのは,有名なガロアの決闘事件が,「最近の伝記では、何とその死をきっかけに共和派が暴動を起こすため、ガロア自らが提案した偽装決闘との説が唱えられた」という部分だ。まさに,「にわかに信じがたい」というほかないが,彌永昌吉著『ガロアの時代・ガロアの数学』(シュプリンガー・フェアラーク東京)を読むべきなのだろう。
 僕の手もとにあるのはL.インフルト著『ガロアの生涯』(日本評論社1969年)だが,取り出して奥付を見ると,「1972年3月3日読了 Yk.のことを想う」という僕の書き込みがある。一瞬,当時の百万遍の下宿の自分の部屋に戻ったような錯覚が襲う── この本は当時の学生たち(の,もちろん,一部)にとっては一種のバイブルだったものだ。20歳で決闘に倒れた不世出の数学者,熱狂的な共和主義者。読み終えての僕の感想はさまざまにあったに違いない。上の書き込みは,遠く離れて,当時の僕と同じように,たしかなものを求めてあがいているに違いない,尊敬する,数学の才能に溢れた,しかしさまざまに悲運な友人のことを想ってのものだ。だが同時に,おそらくは,自分自身を待ち受けているであろう,大きな黒いもののことを想い,それに身構えていたのだろう。

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生もの商売

 春一番が吹いてその翌日には雪が降るような,不安定な天候の中にも,通勤路の傍らには梅が薫り高く咲き誇っている── 確実に春に近づいているのだ。と,のんびりしているわけでもなく,学部と法科大学院との入学試験やら修士論文の審査などで,それなりに慌しい間を縫って,何とか原稿書きの時間を見つけようとあがく毎日だ。
 そのさ中,出版社より教科書の第二刷が刷り上った報告があり,見本2冊が届いた。最も気になっていた,心神喪失者医療観察法関係の不正確な箇所がこれで訂正され,ほっとした。この際,それ以外にもいろいろと手を入れさせてもらった。
 しかし,昨今の世相もあって,犯罪学の分野では立法と実務とそれぞれに動きが激しく,気を抜くとすぐさま情報が古くなってしまう。まさに生ものを扱っている感がある。
 先日,安城市の事件に関連して書いた,「更生保護会の施設を6ヶ月間は保障する」との記述も,間違っていた:犯罪者予防更生法の2002年の改正で,必要な場合,さらに6ヶ月の滞在が可能となっていたことを見落としていたのだ。
 この調子では,まだ多くのミスがあるのではないかと怖くなる。

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イノシシと間違えて豚を射殺

 まあ,考えようによってはこれも殺伐とした事件だが,ネット上の配信記事で目に付いたのがこれ
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050218i315.htm
 鳥獣保護法や銃刀法違反の点を除くと,これは単なる窃盗のように思うのだが── つまり,近所の豚舎から逃げ出した豚なのだから,これはまだ所有者の占有が続いていると見るべきだろう。それとも,茨城県警大宮署はこれを「逸走ノ家畜」(遺失物法12条)として占有離脱物にあたるとしたのだろうか。しかしそうであっても,刑法254条の罪は成立するように思われるのだが。
 イノシシだと思って飼い豚を射殺した、というのは「客体の錯誤」の問題。したがって過失の器物損壊罪(刑法261条)だけが残り,それは不可罰(過失器物損壊罪などは無い)。これが逆で,飼い豚を射殺しようとして,撃ってみたら(野生の)イノシシだったというのであれば,器物損壊罪は未遂で,これまた不可罰となる。教室での事例としてもいまひとつ面白くないか。
 捕まった男は,仲間と計4人で早朝からイノシシ猟に来ていたが成果が無く,車で帰宅途中に畑にいた豚をイノシシと見間違えて発砲した,とのこと。調べに対し,「仕留めてから豚と気づいた。誰かが飼育していると思い,慌てた」と話しているが,件の豚は別の場所の河原で解体して,ちゃんと持ち帰ったという。仲間と分けたかどうかは不明。

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今度は寝屋川市の小学校で

 2月14日午後,大阪府寝屋川市の市立中央小学校に包丁を持った男が侵入し,校舎2階の職員室にいた教職員3人を刺し,うち1人を刺殺した。児童らにけがはなかった。110番で駆け付けた寝屋川署員が,職員室にいた市内に住む17歳の少年を現行犯逮捕した。現在のところ,少年は調べに対し黙秘しているとのことで,詳しい状況や動機などは不明,とテレビが伝えている。 
 誰もが2001年の大教大付属池田小学校の事件を思い起こしたことだろう。あの事件の場合,犯人・宅間は"エリートの子供"への反感を理由として口にしていたが,本当のところを語りつくさないまま死刑になってしまった。あの事件以来,さまざまな対策が採られたはずなのだが。同時に,新聞やテレビを騒がせる学校侵入事件もあとを絶たない。
 文部科学省が昨年発表した数字では,02年に外部者が学校に侵入した事件は2,168件に達したとされるが,学校が狙われる理由は無防備な犠牲者になりやすい児童がたくさん集まっているからだろう。学校の地域社会への開放が必要と指摘される一方で,学校の安全をいかに確保するかという,困難な課題の解決に迫られているわけで,今後,たとえば警察官や父母の校内パトロールなども導入を迫られるかもしれない。
 しかし,今回の少年が狙ったのは教師だけだったようだ。少年は同小の卒業生で,今回も特定の教員に会いたいと申し出て,教員室へ案内する教員の背後から襲いかかったというが,彼の中には何らかの恨みが凝縮されていたのだろうか。しかし,17歳の少年というが,高校生でも有職者でもないようで,そのこと自体すでに,何か複雑な事情がありそうでもある。

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安城市での幼児殺害事件

またしても,想像を絶する事件という他ない。
  愛知県安城市のスーパーで4日に起きた幼児殺害事件で,逮捕された34歳の容疑者は,模範囚として先月末に豊橋刑務支所を仮出所したばかりだったとのこと。「数日前からイライラしていた」と言い,憂さ晴らしで,子供を無差別に狙った犯行らしい。現在のところはまだ断片的な報道しかなく,当然何を言うこともできそうにもないが,それでも気にかかる二三のことを。
  いくつかの報道では,容疑者は「ここ数日頭の中で『死んでしまえ』とか『人を殺せ』という雑音が聞こえた」などと言っているようだが,もし事実なら,これは典型的な統合失調症の症状ではないか── しかし,抵抗できない幼児を狙っていることとか,犯行後に市中に逃走するなど,きわめて正常な判断もしている。窃盗などで何回かの有罪判決を受け,一般の刑務所に入っていたということは,少なくとも過去には精神障害を疑わせる所見はなかったということか。
  容疑者が精神障害者であった場合とそうでなかった場合と,いずれであったとしても,この種の犯罪を予防することは実際には不可能ではないだろうか。さまざまに喧伝される保安処分だが(心神喪失者医療観察法はこの夏にも施行されるだろうが),それとて,今回のように突発的に/初めて犯罪行為を行った者に対しては意味を持たない。責任能力には影響しないと考えられている人格障害を持つ者による意識的な幼児殺害など想像したくもないが,その予防など,どんな方法がありうるだろうか。
  それにしても,容疑者が問題のスーパーに行ったのは,暖を取るためで,所持金はなかったとの報道には,考え込んでしまう。職探しがうまく行かず,住むところも無く,夜は廃車の中で寝て,安城には(盗んだ?)自転車でやってきたという。冬の最中に刑務所を1万円ほどの所持金しかない状態で出され,身よりも居場所もなく,職探しもうまく行かないという状況がそもそも困惑させるものだ。何か確実な犯罪を実行して,衣食住の心配のない刑務所に戻ろうと思っても不思議ではない。こんな場合,刑務所出所に先立って帰住先を明らかにさせ,それがない者は更生保護会の施設を6ヶ月間は保証することになっているはずなのだが,その関係はどうなっていたのだろう。また,仮釈放なのだから,保護観察所がかかわって保護司が付されているはずなのだが。

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加古祐二郎の日記

 昨日は東一条の関西日仏学館で講演会:「現代の法とヒューマニズム──加古祐二郎日記と瀧川事件──」,講師は園部逸夫先生。ロマン・ロラン研究所主宰のセミナーの一環ということだが,加古祐二郎とロマン・ロランという一見不思議な取り合わせは,園部先生が加古祐二郎とも,ロマン・ロラン研究者・翻訳家として著名な宮本正清とも姻戚関係にあることで合点がゆく。
 加古祐二郎の日記の存在はよく知られえているし,それを詳細に紹介した『昭和精神史の一断面』(法政大学出版会)も刊行されている。だが,そこには公表されていない様々な記述があり,当時の社会的事件や人物に対しての加古の評価や人間的感情の起伏が記されているであろうことは当然だ。園部先生の話は親しみと尊敬の心情が溢れる,活き活きとしたものだった。学生時代の加古の得意と失意,交友関係,瀧川先生に対する醒めた観察,佐々木先生への失望と引き比べての恒藤・末川両先生に対する尊敬の念など。それにしても,31歳で病死するまでの短期間にあれほどの業績を残しえたほどの研究生命の凝縮には驚嘆するほかない。
 加古日記はこのたび立命館大学の加古文庫に収められることとなった。

 前夜,自宅の書架から加古祐二郎の『近代法の基礎構造』をとりだしてぱらぱらとめくってみた。随所に傍線が引かれ,細かい字で書き込みがされている── よく勉強していたのだ。30年前の自分の姿がそこに見えるようで,おもわず懐かしさの感情におそわれたことだった。
 しかし,思い返してみても,講演会の聴衆はほとんどが年配者で(片岡曻先生,中山研一先生,宮内先生の奥さんなども),若い学生や大学院生らしい姿はまず見えなかった。時代なのだ,と言ってみても,やはりさびしい気持ちに変わりはない。

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白子屋事件

 昨日は京都南座で前進座の「髪結新三」。授業やら何やらに忙しい中,年に一度だけの贅沢と自分に言い訳しながらの舞台見物だったが,案に相違して,いろいろと面白かった。
 この演目,黙阿弥の生世話(きぜわ)物の名作ということになっているが,江戸時代に実際にあった「白子屋事件」を題材に,幕末から明治にかけ寄席で真を打っていた春錦亭柳櫻という噺家の創作した人情噺「白子屋政談」を基に黙阿弥が脚色したものらしい(岡本綺堂による)。今回は中村梅雀が髪結新三と大岡越前守の二役を演じ,老獪な家主を演じた梅之助との親子の競演だった。
 予備知識なしに舞台の進行を追っていて,途中気になったのは,「白子屋」の娘の巧妙な誘拐がなされたにしては,一向にこれを犯罪として見る目が現れてこないで,新三も周囲の者も当然のように親元からの使いが身の代金=示談金を持参して馳せ参じるものと予定してかかっていることだ。当時の「かどわかし」というのはそのような性格の「犯罪」だったのだろうか。そもそも,この場合新三は身代金目的があったのか,その要求もしていない。手代の忠七が嘆くように,娘のお熊は「てごめ」にあったらしく,それなら「わいせつ」目的か──であればこれは営利誘拐か,など。「白子屋奥の間」の場では,すでに婿を取っているはずのお熊がまだ振袖姿だったが,刺された婿の恨み言からも推測されるように,婚礼以来一度も添い寝もせず,家付き娘のわがままを通していたと言うことなのだろうか。いずれにしても,最後の「町奉行所」の場に至って,それぞれの真犯人は良心の呵責に耐えず自白に及び,「殊勝なり」として,あるいは罪一等を減じられ,あるいは妻子の面倒を見ることの約束がなされるという,きわめて日本的な決着がつけられて安心した。
 もう一つ印象深く聞いたのは,公演が跳ねた後のホテルでの会食の際,同じテーブルに座った梅之助氏の話した「梅鉢」その他の京都の飲み屋との因縁のいくつかだ。とりわけ,朝鮮戦争時の北海道公演での官憲の妨害とのかかわりででっち上げられた刑事事件のあおりで中国に「亡命」していた翫右衛門(梅之助氏の父親)が帰国後に,その裁判費用の捻出のために「名士書画展示販売会」を企画し,その出展作品を集めるために来た京都で,今は故人となった某画伯が若い彼を要所に紹介してくれ,また夜は多くの店に彼を連れてその「顔を売る」ために回ってくれた,という回顧談だ。
 来年は前進座(村山知義の発案による命名とのこと)の創立75周年ということだ。血のにじむような多くのエピソードに溢れて,このような劇団が今日になお長らえていることを喜びたい。(1月16日記)

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戻り新参

 結局はNiftyに戻ってきたことになる。
 直接のきっかけはYahooのADSLに関わるさまざまな不具合によるものだ── もう2年以上も快調に使ってきたADSLが,付近での普及のおかげか,最近とみに遅くなり,しかも不安定になってしまった。作業途中に全く止まってしまうことがあり,ついに音を上げてしまった次第。頼みもしないのにBBフォンが使えるようになっており,わが家の複雑な電話配線状況もあって,電話機の異常作動もこたえた。
 わが国でのブロードバンド網の整備に果たしたソフトバンクの功績,とりわけても,ISDNやら何やらにこだわってNTTが妨害するのを撥ね退けての,革命的な低料金でのADSLの普及は,あらためて確認すべきだと思うし,その点で孫社長揮下のソフトバンクの活動には尊敬の念を惜しまないが,それでも── で,このたび,光ケーブルに切り替えるとともに@Niftyをメインにすることにした。NiftyのIDはずっと持ち続けてきたので(先ごろ「ご利用15周年にあたってのご挨拶」を受け取った),それ自体に違和感は少ないのだが,やはり,Yahooへの後ろめたい気持ちが。もちろん,先方は何も気にしていないだろうが。
 ついでに,他所で開いているblogもここに移すことにしようか,と。
 

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